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Taku's World

2018/06/15

道徳指導

依頼を受けていた若手研の道徳指導、4校目が終わった。小学校2校に中学校1校。13日水曜日の道徳科授業では、授業の最初にまず指導者が、第8回道徳指導と板書した。うむ、これは立派。4月から始まって、6月半ば。学校の教育課程は窮屈で、学級開きのころは目標や組織作りの時間がない。修学旅行といえば、充てられている時間は本番だけ。連れて行くだけの修学旅行なんて危なくてできない。行事の準備、指導、本番。その本番が終わって帰ってくれば、また、その後始末。ただ連れて行けばいいというものではない。そういう中で、教科学力に直結しない道徳の時間等は、ついつい、その指導時間に充てられる。そうしなければ、放課後は拘束して指導。時間外授業のようなものだ。そんな中、第8回。よくやっている。実施しているだけでも誉めてやれる。加えて、学校全体で共通の授業構成があるのだという。体制作りもできている。若い先生。こんな環境にいることは幸せだ。伸びるに違いない。

2018/05/30

校長職って何?日大事件を重ねて

日大の学長は№3だという。驚いたなあ。小中学校の校長の上は設置者としての首長がいて、首長が主宰する教育委員会があって、事務局のトップが教育長ということになる。だが、そこには一線があって、校長は校務をつかさどり、所属職員を監督するのであるから、一校のトップとして職務権限が法的にも保障されている。どうしてもなじめないのは、日大では学長の上に二人いるということで、それは経営者。それでは、株式会社日本大学ではないか。学校じゃないね。公立学校の校長職にも問題がある。校長職であった人はうじゃうじゃいるけれど、校長職を追い求めた人は希少。学校という小さな世界に鎮座しても、エリアでボス然としても、それはそれはローカルな世界。しかも退職で、そんな地位は消え去っているのに、未だ特別な校長室にいるように振舞っている輩が多いこと多いこと。世界を知らない人は、世界が分からない。世間を知らない人は、世間常識が分からない。退職したら、自分の下には部下はいないと自覚すべきだが、それができない。世間で通用するのは、教育界に身を置いて得た学識や専門性、それに世間に通用する人となり。校長職を追い求めた人は、それを学んでいるから、外の世界で通用する。校長を経験することは権限や権力を使うことを経験することでもあるが(小さな小さなものだが)、校長職とは何かを追い求めてこなかった輩には、その使い方が分からない。社会秩序維持には権力や権限は必要だ。問題はそれをどう使うかだ。大物は少し使うが、小者は振り回す。悪人は、自分のために仲間や一部のために使うが、賢者は、皆のため、人のため、世のために使う。然も公平公正であることに最大限の配慮をする。そんなことは、退職した後のお行儀をみていれば、大物か小物か、本物か偽物かは、すぐ分かると大先輩が教訓してくれた。在職中にトップに立つことの苦しみや懊悩を経験しない輩は、自らを知って蟄居するくらいの覚悟が欲しいが、それで蟄居するような人物は大物ということだ。日大アメフト事件の内田も監督になってはいけなかった小者だったということだ。メンバーを選ぶのに、選ばなかった選手について苦しんだり悩んだりしたことはないだろう。完璧な人なんているはずがないが、開き直って、何を間違えたか、すぐなる世の中を横に歩く自己中は多い。多いし、その取り巻きもこれまた多いということだ。内田のコーチ陣。

2018/04/19

無様な東大卒高級官僚

2005年6月17日私のHPにかような一節をUPしたのを思い出した。福田次官も佐川氏も小中学校時代は恩師から見れば自慢の子どもであったに違いない。だが、年齢を重ね地位も上げて官僚社会での振る舞いを見ると、このエリートたちの教育が何か間違っていたように思えてならない。

…略…中学、高校で子供たちが受けた苦しい訓練と抑圧は、不思議にも大学生になったとたん消え去る。成績評価はてぬるいし、企業は成績にはほとんど無関心だ。大学を卒業し就職すれば、大学で何を学んでいようと関係なく、新入社員研修で一から訓練を受け直さなくてはならない。大学の勉強は将来にほとんど影響しないので、高校を卒業すればあとの4年間は遊んで過ごすだけだ。
…略… 東京大学はまさにエリートの頂点に立つ大学だが、欧米の基準で見れば学問の園どころか学問の墓場である。大学本来の一大目的は学生に社会奉仕精神、一種の倫理観を育てることだが、東大では全く心得ていない。卒業生はまっすぐ政府の省庁に入り、そこで賄賂を受け取り、暴力団に金を貸し、カルテを改竄し、河川や海岸を破壊する計画を立てる。─同僚も教授も、それに対してうんともすんとも言わない。先進国の名だたる学府で、世界にも自国の社会にもこれほど貢献していない大学はまずないだろう。
これは、Yale 大で日本学を専攻し、Oxford大で中国学を修めた後、慶応大に通いながら日本の茅葺き屋根を修復して歩いた「美しき日本の残像」「犬と鬼―知られざる日本の肖像」の著者アレックス・カーの愛する日本に向けた近親憎悪にも似たような日本の教育制度批判だ。「大学で 4年間、つまらない講義を受け、ほとんど勉強しないで無為に過ごすのは、効率優先の国にしては信じられないほどの時間の浪費ではないか。」とすれば答えはただひとつ、日本は本当は大学など必要としていないとしか考えられない。こう言い切るのは、エドウィン・ライシャワー元駐日大使。日本の教育が真にめざしているのは「教育」ではなく「去勢」だ。(元厚生官僚の故・宮本政於氏)…略…

2018/03/01

1994年生まれと教育体制

平昌オリンピックで活躍した羽二生選手の同世代、1994年生まれが話題になっている。何しろ凄い。 フィギアの羽二生弓弦、野球の大谷翔平、水泳の萩野公介に瀬戸大也、柔道のベイカー茉秋、バドミントンの 奥原希望、卓球の丹羽孝希、レスリングの川井梨紗子に土性沙羅、スピードスケートの高木美帆に サッカーの南野拓実。まだまだいるはず。戌年生まれだからワンダフル世代だというのは茉秋選手。 スーパープレイヤーが続出で、これは国が主導した組織体制整備によるところだという論調が目立つが、果たし てそれだけか。体育面で気になるのは二極化だ。15年前に比べると、1500㍍を走らせると1周半ほど遅れるタイム低下がある。この話は北島康介選手が活躍していた頃、盛んに言われていたことだが、別の見方をすると、この活躍競技は、個人種目が殆どで野球やサッカーもリトルやシニアなどスポーツクラブの歴史がある競技であることに気付く。欧米では古くからそれが普通で、そうして、そこで育った選手が世界で活躍してきた。日本のように学校の部活動で育ってきたわけではない。私も教員時代、部活動指導に熱中した方だが、それを見たアメリカ人にクレージーと言われてしまった。教員は学業指導が本分と言いたかったらしい。ミュンヘンに伺った際、小学生は、午前で下校して、午後は6面もあるサッカーコートでサッカーに勤しみ、時には同じサッカーコートで練習しているバイエルンミュンヘンの選手が指導することもあると聞いて、とてもかなうはずがないと思った次第である。 日本では、スポーツクラブに通うにはかなりの費用を要するので、そこには経済格差が生じている。ひょっとして磨けば玉になる選手が陽の目を見ていないのかもしれない。そういうところへ、行きたくてもいけない子どもがどれほど多いか。さらに、この1994年に着目していただきたい。1992年から段階的に実施されてきた学校週5日制は2002年に完全学校週5日制になって、あの評判悪いゆとり教育がスタートするが、彼らの小中学校時代は、学校週5日制、ゆとり教育のど真ん中だったのである。これは今となっては余り言われていないことだが、変化の激しい時代、当時すでに学校が教えきったり育てきったりできる時代はとうに終わっていた。生涯学習の理念のもとに、学校を核にしながらも、社会全体で子どもを育てようとした気運が高まった時代でもある。だが、この改革は二つの点で政策的な誤りがあった。一つは、社会全体に子どもを育てるシステムをまだ構築できていなかったこと。二つは、簡単に言えば学力観の転換に伴う指導技術を教員側が持ち合わせていなかったこと。自主的、自律的、主体的にと言っても、どれ程の教員がこのことの意味を理解し、授業に砕くとどうなるかが分かっていたか。理念先行型で現実とは乖離していたのである。
1994年生まれに話を戻す。申し上げてきた状況下で、学習塾は手吊り広告等に学力低下をかかげ、キャンペーンをはって、考えるゆとりや心のゆとりを否定して経営を維持しようとしたが、確実に足場を固めていったのがスポーツクラブで、それは、子どもたちに生じた土日や放課後をなどを取込んで、やがて、このような選手育成に成功するに至るようになったと推測できるのである。私の地元には、バルセロナで金メダルを獲得した当時中学2年生だった岩﨑恭子選手が在学していた中学校がある。同級生曰く「恭子ちゃん、うちのプールで一度も泳いだことないよね」。私はそれでいいと思っている。ただ、この平成14年に向けて、社会全体で子どもを育てるシステム構築にお金をかけた気配はなく、学校ではやれないことを社会が行う気運もシステムも構築できなかったところに、平成10年改革の失敗の要因の一つがあったと思うのである。教育改革であったはずが、学校改革に押しとどめ、しかも世間の批判を浴びさせて、学校だけで大丈夫という不安をあおって、受験産業は経営が維持できて今日に至っているが、それは時間延ばしに過ぎず、学習塾は淘汰の時代に入っている。それはスポーツクラブも例外ではなく、少子化の激しい波は、この国をさらいそうな気配を漂わせているのである。

2015/03/16

通勤電車の幸せどきと腹立ちどき

今が何と言っても通勤電車の幸せどき。空いています。高校生が乗らないからです。気の短い私は、朝からいつも腹立っています。何しろ、優先席に平然と座り、それも悪戯がない様子で、スマホでじゃれています。お年寄りが乗ってきても平気です。私だって、64歳。彼らの前に立って睨んでいますが、ノー天気で空気が読めていないようです。ああいうのを本物の頭が悪い子というのでしょう。今は、その高校生が乗ってこない。腹も立ちません。何という幸せどきでしょうか。

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