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Taku's World

2023/01/15

知的で素敵な人であってほしい

昨日、静岡出張があって、通勤時間帯を少し回った頃の電車に乗った。座ったシートはシルバーシート。70歳を超えた高齢者だから、まあいいだろうと座ったが、私より高齢者が乗車してきてシートに困っていたら、席を譲ろうと覚悟を決めていた。車内は空いていた。よかったである。富士辺りから1人の清楚にコーディネイトされた服装の妙齢な女性が乗ってきた。彼女は脇目も振らずシルバーシートへ。服装からくる印象と行動とのギャップに驚いた。だが、それだけではない。質実なリュックから百均で売っているような小物入れを出すと、その中から化粧道具を出して、車内化粧を始めた。えっ!である。この人が?服装から沸き立つイメージと余りに違う。そうして、一通りのメイクが終わったら、それらを件の小物入れにしまった。次にスマホを出して、さかんにスマホを見ている。私はざっと車輌内を見渡した。スマホを操っているのは6人。読書していた1人の若者がいた。何やら文化の違いを感じた。件の彼女は草薙で降りた。まさか、県立大や常葉大の学生ではあるまい。学生の年齢ではなかったからだ。目くらましを受けたような感じになって静岡まで乗車した。

2023/01/06

明日は松の内が明ける 伊勢飾りはどうしよう

本日は1月6日で、明日は7日。松の内が明ける。松の内とは11日から7日まで。で、7日に七草がゆを食す。セリ ナズナ/ゴギョウ ハコベラ/ホトケノザ/スズナ スズシ。この7草を取りそろえるのは難しい。今や7草はセットとして販売されているが、高価。朝、7草がゆを食して、松の飾りを下ろす。関西はじめ西日本では115日まで。なぜ松の内というかというと、松は依代だという。年神様が門松、松飾り、鏡餅を依代にして滞在される。松を飾っている間が松の内。でもな、近年、注連飾りはあっても、門松や松飾りは殆ど見なくなった。3日に池上七福神巡りに出かけたが、池上本門寺周辺で見られたのは、門扉の両脇に松がしつらえられていて、それに輪飾りをつけたものが多かった。両脇に飾るからか、門扉は中央開きが殆ど。我が地方では玉飾りと呼ばれているものが玄関飾り。近年は小振りなものが多くなった。百均で、500円で販売されているのには驚いた。これら依代を飾っておく期間が松の内。
 さて、明日は1月7日。私は悩む。今年の我が家の正月飾りは伊勢内宮辺りで伝統的に飾られた「宇治飾り」で門扉を整え、玄関は伊勢飾りを据えた。伊勢飾りは伊勢地方では1年中飾ってある。蘇民将来子孫家門と書かれた木札が中央にあるものだ。この木札は依代というより護符。これは、前回少し触れたが、牛頭天王即ち素戔嗚尊にかかる伝説に基づいている。
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古事記によると昔、伊勢の地を旅した須佐之男命が、夕暮れに泊まるところがなく困りはてていました。この地には、将来兄弟という二人が住んでおり、弟の大変裕福であった巨旦将来に、宿を頼んだが、これを断られてしまう。その兄である、大変貧しい暮らしをしていた蘇民将来は、この頼みを快く引き受け、貧しいながら、出来る限りで、もてなし一夜を過ごした。須佐之男命は、これを大変喜び、一宿の恩返しとして、茅の輪を与え、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残した。以来、蘇民家は、後の疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。この故事にあやかり、「蘇民将来子孫家門」の護り札をしめ縄に付けて、一年中門口に飾り、無病息災を願う、慣しとして今に受け継がれている。 http://shimenawa.net/
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護符故に年中掲げておくか。そうは言っても我が家は伊勢・志摩ではない。外してどうしようかとこれまた悩む。

2023/01/04

今年の正月 癸卯

令和5年が始まった。今年は卯年で年男。高田郁は「みをつくして料理帖」に中で、小松原に「卯年は金に縁がない」と言わしめている。然り。金に縁がなく還暦から12年。速かった。あっという間の12年だった。顧みればぴょんぴょんと兎のように跳ねていた人世だった。この12年も同じだった。西鶴は辞世の句に「浮世の月見過ごしにけり末二年」と詠んだ。前書きに「人間五十年の研まり、それさへ我にはあまりたるに、ましてや」とある。人世五十年、楽しい現世を二年も余分に生きちゃったくらいのいい。儲けちゃった二年ということか。私は、末二十二年。余計にどころではない。人世五十年時代に比したら、半分近い。どう生きてきたのか。死ぬまで生きるというのは故石原慎太郎。亡くなる直前まで小説を書いていた。死ぬまで生きたのである。死なないことと生きていることとは違うんですよね、とは玉川徹。これも然り。故日野原重明先生は、90歳で教壇に立ち、医療の現場に死ぬまで立ち続けておられた。感服するし、憧憬する。
 年男・年女になることは1つの区切り。そう思って年末にはお伊勢参り。お願い事ではない。来し方を感謝してきた。伊勢飾りも求めた。伊勢地方では、お飾りは年中飾ったまま。ど真ん中の木札に「蘇民将来子孫家門」とある。蘇民とは貧しい民のこと。牛頭天王に頼まれ親しく優しく応じた蘇民は将来幸せに暮らしたという伝説に基づく。その蘇民がお守りにしていたのが「蘇民将来」詳しくはこちらを。この木札にある文字、将と門、それを併せると将門になってしまう。それで「笑門」としたと土地の人は語る。笑う門に福来たるだ。ついでながら神棚や神社の注連縄は、向かって右が太い。だが、この伊勢飾りは左が太い。これも地方とは違う。この伊勢飾りに伊勢宇治飾りを求めてきた。伊勢でもだんだん継承されなくなってきた、この宇治飾りは、雄松・雌松からなる門柱飾り。神がかった訳ではない。年男・年女を気に、この伝説がごとく生き方を見つめたのだった。笑門だ。
 除夜の鐘が鳴った。地元の浅間神社にお参り。ここでも感謝。そして、菩提寺のお墓に新年のお参り。ここでも感謝。帰って、一寝入り。6時に起きて浮島ヶ原の初日の出と湧水の初飲みに出かけた。そうして帰って、仏壇に純米酒を捧げ、私もまたお屠蘇を口にした。それから三嶋大社へ。これまたおかげ参り。
 3日には、池上七福神巡り。池上本門寺は日蓮宗、我が家と同じ。池上本門寺で招福の白札、魔払いの黒札を求めて帰ってきた。これで、正月の行事は終わり。よきことは、神仏が招くのではなく蘇民将来よろしく己次第。心がけて生きよう。

2022/12/05

Soccer欧州文化と日本

これはスペイン戦の後に書いている。SoccerWorldCup、日本は予選突破。ドイツ、スペインを下してのEグループ1位通過は見事。ふと思い出した。「欧州のSoccerはね、兵士が髑髏を蹴り合ったのが起源。ピッチは戦場です。勝てないですよ。」今から26年ほど前、日韓WorldCup前にヨーロッパへ出張で出かけた時だった。ミュンヘンで私をガイドしてくれたのは、「はな・ベルツへの旅」(講談社)の作者、ミュンヘン在住の眞寿美・シュミット・村木さんだった。村木さんは、ミュンヘンで転がり込んでくる小倉ら日本のSoccer選手の面倒見ていらっしゃった。その彼女が語ったのが、上記の言葉。スポーツGameだった我が国Soccerと欧州のSoccer観の違いを述べたのだった。ピッチが戦場であった兵士のような選手とスポーツ選手では、闘う前に負けている。そう私は理解した。が、今や、Japanに招集された選手の26人中19人が海外でプレイヤーしている。ドイツ戦では、ブンデスリーガでプレーしている日本選手が、同じブンデスリーガーと闘った。同国同士の戦いと報じたドイツ誌もあった。サッカー観はもはや欧州と同じくしている。同じサッカー文化を背負った選手達が戦闘したということだ。それが、ドイツ戦であり、スペイン戦だった。三苫、田中碧は小中を同じくしていたが、育ったのはクラブチーム。恩師はその監督だ。部活ではなかったのである。

2022/05/04

みをつくし料理帖の舞台

 4月に入って高田郁の「みをつくし料理帖」。読み進めていくうちに作家高田郁の舞台設定に舌を巻いた。江戸の区割りを周到に再現している。
舞台の殆どは移転した俎橋付近のつる屋。九段坂に面していて、俎橋は飯田川にかかっていた。俎橋の対岸に創業文久元年の大丸屋米店があるとネット氏は報じている。俎橋向こうには靖国通りが走っているが、江戸期は武家屋敷でそんな通りはない。その先を右折すると神保小路に出る。それが現在の神田神保町さくら通り、すずらん通り。突き当たりが神田小川町の靖国通り。緩いカーブを当時のままに行くと土屋采女屋敷前に到る。現在の東京メトロ小川町駅、淡路駅辺りだ。往時はその隣が松平左衛門屋敷前。そこを北上。すると昌平橋手前で中山道にぶつかる。中山道は日本橋を基点に日本橋宝町、現三越(越後屋)、十軒店、今川橋を経て、この地に到り、上野広小路に進む。神田明神脇を抜けていくような道筋だ。
 昌平橋を渡る。そこは明神下。ご存知野村胡堂の銭形平次が住み、縄張りにしていた地とされているところである。この明神下通りは現在国道452号線、昌平橋通りと呼ばれている。この道の右手、現在の神田明神下交差点から上野方面に旅籠町2丁目、1丁目と続き、その先が金澤町で、その向こうは大岡備後守屋敷。澪や芳、おりょうに伊佐三、口がきけない太一らが住んだ長屋はこの金澤町にあった。金澤町とは前田藩ゆかりの地名である。現在の外神田三丁目の千代田区立外神田住宅(外神田3-5)地辺りで昌平小学校前だ。源斉先生の屋敷は昌平橋に近い旅籠町にあった。金澤町と神田明神下(昌平橋通り)を挟んで御臺所町、同胞町と続く。種市がそばを打っていた「旧つる屋」は御臺所町にあった。澪達の長屋と目と鼻の先である。外神田2丁目、外神田2-5あたりか。現在、近くにうなぎの明神下神田店がある。面白い。澪が手入れし、油揚持参でお参りしていた神弧のある化け物稲荷は古地図にもある。城下町の造りよろしく、明神下を嬬恋坂、鍵の手をさらに北上。武家屋敷にぶつかる。松平伊織屋敷で、そこは湯島天満宮下。その直前、松平采女屋敷と道路を挟んだところが化け物稲荷だった。澪達の長屋からそんなに近くはない。移転する九段坂下のつる屋からは遠くなる。余談ながら、つる屋を卑怯な手でいじめる登龍楼の主人は采女宋馬。この近辺に「采女」屋敷が多い。
 そばの「旧つる屋」は付け火にあって、俎橋、九段坂下に移転した。移転したつる屋まで歩くと30分以上はかかったであろう。通勤が遠くなったのである。
 みをつくして料理帖についてはこちらを。

2021/07/13

柳がけに本直し

梅雨明けの報が入ってきた。いよいよ熱中症危険の夏かあ。昨晩、サライの記事に誘われて「柳がけ」を飲んでみた。上方「柳がけ」、江戸「本直し」または「直し」。みりんに焼酎を五分で割ったもの。みりんのあの味である。当然甘い。江戸期、夏場には甘いものが好まれたようだ。甘酒に冷や水(現代のかき氷に近く甘い)、そして柳がけ。甘くて口当たりがいい。現代では、これを炭酸などで割ってカクテルにする人もいるらしい。
なぜ、夏に甘いもの?お江戸日本橋七つたち、七つ時とは午前3時頃。お江戸日本橋を出立した京上りは六つ時で高輪木戸あたり。四時半で日の出。夏の日の出は早く日の入りは遅い。1日が長いのである。一日中動き回って日入りて宵に涼む。門涼みである。江戸は水の都。大川わたる風は涼やかだったろう。その門涼みに一杯。今ならビール。それを甘い本直しや冷や水でエネルギーを補充しながら労を癒やした。軒先から風鈴の音が聞こえてくる。手には団扇。夏の夜は更けていく。

2021/01/27

高齢者と老人は異なる

 いよいよ今月卯月の半ばには満の古稀を迎える。数え年ではもう既にである。
「酒 債 尋 常 行 處 有 人 生 七 十 古 來 稀 酒 債 尋 常 行 處 有」(曲江 杜甫)
人生70年古来稀だというが、今やうじゃうじゃ。人生80年の時代、たかが70歳だ。だが、古稀を迎える私より遙かに若かった人がいたし、いる。地下鉄サリンで一躍世界に名を馳せた聖路加病院の故日野原重明氏。サリン事件のこの時、83歳で陣頭指揮を執り630名の治療にあたった。3年前の80歳の時に、大災害に備えて廊下、待合室の壁面に酸素配管2000本を設置していたそうだ。2017年満105歳で世を去られたが、96歳でなお教壇に立っていた。諏訪中央病院鎌田實先生。1948年生まれというから私より3つ上。チェリノブイリ、イラク、東北の支援を今なお続けている。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」このことばにぐっときた。励ましの名人だ。何と言っても加山雄三。1937年4月生まれと言うから満83歳か。それでも若大将と呼ばれる。うらやましい限りだ。歌と海をこよなく愛す。タレント業のほか、音楽家としてギタリスト・ピアニスト・ウクレレ奏者、画家でもある。
 高齢者即ち老人ではない、と思い切って私は見栄を張る。北城恪太郞さんではないが、(あ)明るく、(た)楽しく、(ま)前向きに生きることができる人は美しく若々しい。そしてプロであり続けている。人はみな何かのプロだ。プロはその人しかできない何かができる。日野原さんも、鎌田さんも、加山雄三もできる何かをもって、明日を夢見てなお向上心を忘れず、それぞれの社会で人々に勇気と希望を与え、光を放っている。その活力、エネルギー。若い!いくら年齢重ねたって若くはいられるのだ。その逆を言えば、その心の持ちようを失った人が老人なのである。

2020/12/18

失われる四季、慣習

いつの間にか12月半ばを過ぎてしまった。コロナで明け暮れた1年で、いつの間にか季節感が失われている。これから、年末は慌ただしく新年を準備して、除夜の鐘とともに元旦を迎える。三が日は正月行事を楽しんで…。大晦日は除夜の鐘は地元の浅間神社で聞く。地元自治会は甘酒や年越し蕎麦を用意している。浅間神社に参拝を済ませると1㎞ほど先の菩提寺に墓参り。菩提寺でも檀家衆がお振る舞いを用意してくれている。そうした中、新年のあいさつをして新年度を始める。ここ何年かは2日・3日と上京し、六義園等で催されている獅子舞等を堪能し7福神参りをするのが恒例だったが、それも今年はないだろう。それら元旦を前後する様々な催しが中止。いや行事だけではない。8月末に亡き母の17回忌だったが、これも最小でと要請されて弟夫婦と4人だけで執り行った。当然の如くで夏祭りも秋のお祭りも紅葉狩りもなし。改めて季節の変化を「みんな」と楽しむ生活の中にあったことを知った。コロナ禍はそんな日常も奪ってしまった。さて、来年はどうなるか。戻るのか。いやもとには戻るまい。例えば、葬儀全てが家族葬になってしまったが、コロナ禍から脱したからといって元の葬儀にはならないように。弔辞もお悔やみも無くなるだろう。社会慣習をどう取り戻すか。大きく社会が変わるのだろう。致し方が無いのか。

2019/07/28

趣味では通用しない

FBで家内は産経展の会友資格を得てはいるものの会友申請していないと書いたが、理由はいくつか。産経国際書展の場合、出品公募の50%くらいが入選するのだそうだ。その入選者の中から秀作賞、特選、特別賞とあがっていく。そのうち都美術館に展示される作品は秀作以上で入選作品は展示はされない。名前のみである。しかし、都美術館で展示されているのは、大部分が審査を経ない、つまりは顧問とか理事とか評議員とかの役職の人たちに加えて、審査員や会友の人たちの作品である。会友になるには秀作以上の受章を何回か受けないとなれないのだという。会友になれば審査なしに作品は展示されるのであるが、その会友になるためには年会費2万円の納入が必要ということ。理事や評議員になるとさらに納入金は高くなる。加えて、展覧会の準備の作業お手伝いが加わる。家内は、この納入金を毎年は納められないからを理由に会友申請をしていないのである。さらに家内曰く。会友になれば出品すれば展示してもらえる。一般公募だと審査を受ける。だから、作品を仕上げるのに努力する、それが大事なのでという。だが、会場で大作を見ると、特別賞をいただいる作品は大きく費用と時間がかかっていることがよく分かる。あの大きさの作品を仕上げるには、仕上Oedm9930げる「アトリエ」が必要だが、あいにく、我が家にはその ようなスペースはない。この作品を書いているときは机の上に書いては紙をずらして書いては紙をずらしての繰り返しだった。当然のことながら、よくみると縦の構造に若干の歪みが出ている。目の肥えた審査員は一瞬で見破るであろう。書には広々とした稽古場が必要。家内は自分の創作活動の限界を悟っていると感じた。これが二つ。三つは、前述した役職そのものも長い月日と会派活動、ときには毛並みが必要。家内は、子育てや家庭内、仕事上の都合で稽古はしていたが、会に属した創作活動は20年ほどの空白がある。一般社会ではそれが通常であろう。
 友人の安藤豊邨君は、20代で豊田市の名誉市民になり小学校教員も辞めた。辞めたというより辞めざるを得なかった。二頭は追えなかったのである。書に人生を託した、それで書の世界の中核になり得たし今日がある。

書展を二つ鑑賞したが、その世界は、職業芸術家が師弟関係という巨大な秩序を形成して存在しているのであった。

 

2018/02/20

水戸黄門に喝采

 『水戸黄門』の作者は「原案・脚本・葉村彰子」になっている。『大岡越前』『江戸を斬る』も「葉村彰子」で、それって誰??というところだが、Wikipediaでは、「逸見稔が中心となって構成していた創作集団。当時、映画出身の作家に対しテレビラジオ出身の作家の待遇が悪く、その待遇改善のため、1970年向田邦子・松木ひろし・窪田篤人・津田幸夫によって作家集団SHPを作る。 さらに大西信行・櫻井康裕・田口耕三・柴英三郎が参加。やがて加藤泰・山内鉄也・岡田裕介(元俳優・東映プロデューサー)も参加する。」とあった。創作集団で納得した。しかも、あの逸見稔。199512962歳に若さでこの世を去ったテレビプロデユサーだ。水戸黄門を単なる娯楽時代劇と見てはいけない。昨日、BSTBS6の水戸黄門(再放送)には、「わしの後ろ盾にはとてつもない人が居て」というくだりがあった。作家たちの世間智だね。手下を従えやりたい放題の御仁は、それができる環境に身を置いているのであって、終始後ろ盾に忖度を働かせて、その力を借りて側を演じている。そうでなければ、そうはやりたい放題、悪態の限りはできないはず。この後ろ盾から下部に至る陰の勢力が大手を振って歩く。どこにもある構図だ。外側の無勢は黙っているだけだ。ろくでもないのは、自ら、この勢力に入り込み、やりたい放題を楽しむ輩だ。無勢はじっと黙ってそれを見ている。従順になっているようで心の中は「いつか見てろ」だ。傍若無人の多勢には正直も苦労も誠意も思いやりもモラルそのものがあったものではない。番組で描かれている、この図式を感じ自らが身を置く世界に同化させて、最後は水戸黄門が出てきて懲らしめてくれると分かって見ている。そこが人気で、視聴者は正義漢、水戸黄門一行が、少数でばったばったと多勢の陰の組織を打ち倒し、それらを懲らしめるから溜飲が下がるのである。この紋所が目に入らぬか!そんなのありっこない、ありっこない虚構の世界だけれども、自分の周りにいる、これら傍若無人の知性や理性の欠片もないバカモノどもを、助さん、角さんの腕力とヤシチの情報収集力、黄門様のご意向で、跪かせる、それも権力だけれども、そんな権力であってほしいという願望があり、それが出現するから溜飲が下がるのである。

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