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Taku's World

2024/08/29

前頭葉萎縮で感情爆発 TVに怒り

 この暑さの中、日中出歩いて熱中症にかかって、倒れて肩を骨折。そんな事故もあってか、家籠もりの生活が続いてTVを視聴する機会が増えた。1昨年の退職〇〇会で「認知症」について触れた。厄介なのは「前頭側頭型」認知症で、それは知性・理性をつかさどる前頭葉が萎縮して、「脳辺緑系」を抑えきれず、感情爆発を起こすというもの。交通事犯を繰り返す、勝手気儘になって、テキトウな振る舞いが多くなった。うーむ。前頭側頭型認知症かもしれない。65歳以上では5人に1人が認知症を発症するとか。数えた。1、2、3、4、5人。この中にいる(笑い)。TVに向かってぶつぶつ言い始めたら黄信号で、気がつけば私も昨今、TVに向かって怒っている。来たか。危ない、危ない。
 全ての葬儀プランが5万円引き、小さなお葬式♪ドラム叩いて笑顔を浮かべて死亡保険♪俺っちの終末はビジネスチャンスか。BSは朝から終日通販CM。社長、もっと安く~なんて甘ったるい声に、ちょっと待った今から30分以内…、もう聞き飽きた。地上波だって、ここで「お知らせ」は5分以上続いて番組は中断。で、Ch変えて戻しても、なおCMは続く。CMを商うのは巨大企業電○等。CM時間拡大でウハウハだ。電波行政は企業支援かと73歳は怒り心頭。視聴者は通販のサプリに育毛剤。今更、活力に黒髪でもあるまいに。喝!だ。TVは今やCM受信機。かくしてTVはチューナーレス時代に突入。

市制100周年に思う  気がつけば半世紀 昭和世代は昭和のままに 2023年7月

今年、沼津市は市制百周年。新卒で金〇中に着任して50年。半世紀が経った。私が中学二年の時に東京五輪で新幹線が開通。この年の高校進学率は約68%で1/3は中卒。我が家も極貧で高校進学がやっとだった。大学へ進まなければ教員にはなれない。不思議にも、高校の先生方や沼津市のおかげで大学進学できて教員になれたが、職員室の先生方は全員が大卒、自分もその一人と気づいて驚いた(笑)。あれから五十年。社会は激変。今年、自治会役員に就いたが、正副会長は昭和の申し子。上り坂を皆で上った時代を謳歌し、1970年からの失われた三十年も演じた。上が下をグリップし、異論や異議は認めず、忖度させて全員一致。が、今や真逆。統一・均質ではなく独創や創造性を重視。皆違っていい、だ。財界幹部は嘆く。日本人には分からないことはやらない文化があると。確かに。変化は受け入れず、分からないデジタル等は忌避して不易流行と宣う。60歳で皆一斉に退職。平等に辞めるから不平なし。これがidiot。中韓は我が国の優秀な退職者を高額で雇用して自国に活かしてきた。結果は知るべし。多くの組織で中間組織が綻びかけている。リアリティは末端にある。昭和手法のままに末端から離れた中間組織が、上から協力要請しても、末端はうるせーなあだ。自治会も違わず。回覧板は昭和15年、内務省発のもの。それが今なお続く。悠久不変だ

2023/09/04

久しぶり 沼津市 市制100周年に寄せて

今年(2023年)、沼津市は市制百周年。市民憲章50周年の年でもある。22歳で教育界に身を置いて50年。感慨文を2本。やや過激に。

〇気がつけば半世紀 社会衰退の前兆           

 退職して12年経った。現職38年と併せれば50年。何と教育界に身を置き半世紀が経ったのだった。大学の卒業記念で後輩から贈られたのは鉄筆セット。今や、それって何?だ。PCで原稿を作成。印刷はリソグラフ。平成1桁年にB版はA版になって、今や非紙媒体へむかっている。黒電話、ダイヤル電話はスマホやメールに。本市50年、丸井も西武もニチイも消えて、ヨーカードも去った。閑散駅前通りに仲見世通り。うじゃうじゃ、わいわいが消えて、がらがら、すきすきに。
 教育界では、本県の採用倍率は10数倍時代から3倍以下、教科によっては2倍以下だ。学校の小規模校化に加えて教員不足が深刻。教職課程を開講できない大学もあると聞く。教員のなり手がいない。超のつく時間外勤務は50年前にだってあった。何が違うか。私の初任時は私のような未熟な教員を保護者達は側に立って大切にし、育ててくれた。が、今や保護者、地域のクレームに備えてピリピリだ。教員の、いや学校教育そのものの社会的地位は低下。塾や私学が跋扈するが、それは受験と部活。教員への敬いなどは鉄筆の今昔と同じ。学校教育は20年後・30年後の社会作りで、その社会の担い手を計画的に育んでいるのであって、受験成果が使命ではない。だから、学校教育の軽視や学校の教育力(授業力)の低下は社会(国)衰退への道となり前兆とも言える。  
 現職教員には難しい時代になった。正解探しの授業、教える、伝える技術や統率力よりともに学びあう授業づくりが希求され、授業改善が求められている。が、それが難しい。慶応高校の監督のように指導者と選手とのよき距離間を創るのも難しい。余程に研鑽せねば無理なこと。主体的な学びとは言うが、子供がその気にならなければ学びは成立しない。これまた難しい。教師は指導者から伴走者へとも。これ、またまた、だ。教師自身がよき学び手でなければ、それはイメージできずに途方にくれるだけ。うーん、10年後、危ないなこの国。

〇気がつけば半世紀 昭和は通用せず
 新卒でK中に着任して50年。半世紀が経った。私が中学2年の時に東京五輪で新幹線が開通。この年の高校進学率は67.7%で1/3は中卒だった。我が家も極貧で高校進学がやっと。大学進学のダの字もなかった。当たり前だが、大学へ進まなければ教員にはなれない。不思議にも、高校の先生方や沼津市のおかげで大学進学への道が開かれて教員になれたが、暫くして、職員室の先生方は全員が大卒。自分もその一人と気づいて驚いた(笑)。あれから50年。社会激変の様はすさまじい。今年、自治会役員に就いたが、正副会長は全員がほぼ60代後半を超えて70代が主役。昭和の申し子のような人たち(私も含む)だ。上り坂を皆で上って、高度経済成長を謳歌したが、1970年(平成2年)からの失われた30年を演じた社会の中堅層でもあった。上が下をグリップし、異論や異議は認めず、忖度させて全員一致。が、今や真逆。統一・均質より独創性や創造性を重視。皆違っていい、だ。社員旅行が消えて、社内運動会もなくなった。出社せずのテレワークも珍しくない。社会の変化は生活の隅々に素早く派生して、各個にその適応を求めてくる。だが、皆同じ世代は、それらへの適応を拒否。財界幹部は嘆く。日本人には分からないことはやらない文化があると。確かにだ。変化を受け入れず、分からないデジタル文化等は忌避して、「不易流行」と宣う。不易流行の本意を間違えているが。
 60歳で皆一斉に退職。能力があろうが、なかろうが皆平等に定年退職するから不平はない。これがidiot。中韓は有能な我が国の退職者を高額で雇用して利用して自国の産業経済に活かしてきた。結果は知るべしで、頭の中がぐらぐらしてくる。
 今、多くの組織で中間組織が綻びかけている。問題や課題を内包するリアリティは末端にある。昭和手法のままに末端からは離れた中間組織が、上から目線で協力要請しても、末端はうるせーなあだ。それが具体に現れたのが、松山、高知両市P連の県P連からの脱退だ。
 自治会も違わずで、昭和世代が役員を占めて、昭和のままを演じ、住民の不協力を嘆く。上から下へではなく、下から上へで、住民自らの参画が重要な時代になっているが、その時代認識に立てない。だから、反対や異論、異議を嫌う。下からの声こそ重要なのだが。行政もよろしくない。自治会は自治の会であって、役所の出先ではない。ここにも昭和の残滓、上から下への意識が働いている。その上から下への伝達手段が回覧板で、そもそも、回覧板は昭和15年、内務省発のものだ。それが今なお続いて、HPやネット活用に至らない。まだ、時期尚早で全員が使えないと昭和世代は言うが、全員ではない。昭和謳歌時代の人たちだけだ。で、回覧板という昭和初期が今なお続いて悠久不変。不思議な世界である。

○子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就く (キャシー・デビッドソン・ニューヨーク市立大学大学院センター教授)
○今後、10年~20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い。(マイケル・オズボーン氏 オックスフォード大学准教授)

2023/01/17

獺祭 旭酒造櫻井社長に学ぶ

昨年薬剤師になった姪っ子から、新年ご挨拶で獺祭をいただいた。そんな高価なお酒を呑んだことがなかったので、仏壇に供えていたら、生もの、できるだけ早くお飲みください、で慌てて封を開けた。獺祭、元旦届けとあった。ワイングラスで香りを楽しみ、喉を通した。甘く芳醇な香だ。「私たちはWineのような日本酒を造ろうとは思っていません。」日本酒らしい日本酒を造ろうとしている意気込みが感じられる。これなら売れると思った次第。だが、その味以上に、この獺祭を調べていく内に、獺祭の櫻井博志社長を紹介した「ぼくらの履歴書」に行き着いた。https://employment.en-japan.com/myresume/entry/2020/06/16/103000 「小さな蔵元で売り上げ減少、廃業寸前から世界の銘酒へ。杜氏の寒づくりから脱却。今日と同じ明日は来ない。何かが起こる前提でやるしかないと櫻井社長。今や世界の獺祭。ぐっと来た。」 とFBに書いてupした。社長の仰るとおり、今日と明日は同じではない。今日は昨日とも異なる。昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなん、ではない。その変化を見つめる目が大事だし、その目があるかどうかで明日を開けるかどうかが決まる。気づきこそ大切なのだ。

2023/01/15

知的で素敵な人であってほしい

昨日、静岡出張があって、通勤時間帯を少し回った頃の電車に乗った。座ったシートはシルバーシート。70歳を超えた高齢者だから、まあいいだろうと座ったが、私より高齢者が乗車してきてシートに困っていたら、席を譲ろうと覚悟を決めていた。車内は空いていた。よかったである。富士辺りから1人の清楚にコーディネイトされた服装の妙齢な女性が乗ってきた。彼女は脇目も振らずシルバーシートへ。服装からくる印象と行動とのギャップに驚いた。だが、それだけではない。質実なリュックから百均で売っているような小物入れを出すと、その中から化粧道具を出して、車内化粧を始めた。えっ!である。この人が?服装から沸き立つイメージと余りに違う。そうして、一通りのメイクが終わったら、それらを件の小物入れにしまった。次にスマホを出して、さかんにスマホを見ている。私はざっと車輌内を見渡した。スマホを操っているのは6人。読書していた1人の若者がいた。何やら文化の違いを感じた。件の彼女は草薙で降りた。まさか、県立大や常葉大の学生ではあるまい。学生の年齢ではなかったからだ。目くらましを受けたような感じになって静岡まで乗車した。

2023/01/06

明日は松の内が明ける 伊勢飾りはどうしよう

本日は1月6日で、明日は7日。松の内が明ける。松の内とは11日から7日まで。で、7日に七草がゆを食す。セリ ナズナ/ゴギョウ ハコベラ/ホトケノザ/スズナ スズシ。この7草を取りそろえるのは難しい。今や7草はセットとして販売されているが、高価。朝、7草がゆを食して、松の飾りを下ろす。関西はじめ西日本では115日まで。なぜ松の内というかというと、松は依代だという。年神様が門松、松飾り、鏡餅を依代にして滞在される。松を飾っている間が松の内。でもな、近年、注連飾りはあっても、門松や松飾りは殆ど見なくなった。3日に池上七福神巡りに出かけたが、池上本門寺周辺で見られたのは、門扉の両脇に松がしつらえられていて、それに輪飾りをつけたものが多かった。両脇に飾るからか、門扉は中央開きが殆ど。我が地方では玉飾りと呼ばれているものが玄関飾り。近年は小振りなものが多くなった。百均で、500円で販売されているのには驚いた。これら依代を飾っておく期間が松の内。
 さて、明日は1月7日。私は悩む。今年の我が家の正月飾りは伊勢内宮辺りで伝統的に飾られた「宇治飾り」で門扉を整え、玄関は伊勢飾りを据えた。伊勢飾りは伊勢地方では1年中飾ってある。蘇民将来子孫家門と書かれた木札が中央にあるものだ。この木札は依代というより護符。これは、前回少し触れたが、牛頭天王即ち素戔嗚尊にかかる伝説に基づいている。
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古事記によると昔、伊勢の地を旅した須佐之男命が、夕暮れに泊まるところがなく困りはてていました。この地には、将来兄弟という二人が住んでおり、弟の大変裕福であった巨旦将来に、宿を頼んだが、これを断られてしまう。その兄である、大変貧しい暮らしをしていた蘇民将来は、この頼みを快く引き受け、貧しいながら、出来る限りで、もてなし一夜を過ごした。須佐之男命は、これを大変喜び、一宿の恩返しとして、茅の輪を与え、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残した。以来、蘇民家は、後の疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。この故事にあやかり、「蘇民将来子孫家門」の護り札をしめ縄に付けて、一年中門口に飾り、無病息災を願う、慣しとして今に受け継がれている。 http://shimenawa.net/
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護符故に年中掲げておくか。そうは言っても我が家は伊勢・志摩ではない。外してどうしようかとこれまた悩む。

2023/01/04

今年の正月 癸卯

令和5年が始まった。今年は卯年で年男。高田郁は「みをつくして料理帖」に中で、小松原に「卯年は金に縁がない」と言わしめている。然り。金に縁がなく還暦から12年。速かった。あっという間の12年だった。顧みればぴょんぴょんと兎のように跳ねていた人世だった。この12年も同じだった。西鶴は辞世の句に「浮世の月見過ごしにけり末二年」と詠んだ。前書きに「人間五十年の研まり、それさへ我にはあまりたるに、ましてや」とある。人世五十年、楽しい現世を二年も余分に生きちゃったくらいのいい。儲けちゃった二年ということか。私は、末二十二年。余計にどころではない。人世五十年時代に比したら、半分近い。どう生きてきたのか。死ぬまで生きるというのは故石原慎太郎。亡くなる直前まで小説を書いていた。死ぬまで生きたのである。死なないことと生きていることとは違うんですよね、とは玉川徹。これも然り。故日野原重明先生は、90歳で教壇に立ち、医療の現場に死ぬまで立ち続けておられた。感服するし、憧憬する。
 年男・年女になることは1つの区切り。そう思って年末にはお伊勢参り。お願い事ではない。来し方を感謝してきた。伊勢飾りも求めた。伊勢地方では、お飾りは年中飾ったまま。ど真ん中の木札に「蘇民将来子孫家門」とある。蘇民とは貧しい民のこと。牛頭天王に頼まれ親しく優しく応じた蘇民は将来幸せに暮らしたという伝説に基づく。その蘇民がお守りにしていたのが「蘇民将来」詳しくはこちらを。この木札にある文字、将と門、それを併せると将門になってしまう。それで「笑門」としたと土地の人は語る。笑う門に福来たるだ。ついでながら神棚や神社の注連縄は、向かって右が太い。だが、この伊勢飾りは左が太い。これも地方とは違う。この伊勢飾りに伊勢宇治飾りを求めてきた。伊勢でもだんだん継承されなくなってきた、この宇治飾りは、雄松・雌松からなる門柱飾り。神がかった訳ではない。年男・年女を気に、この伝説がごとく生き方を見つめたのだった。笑門だ。
 除夜の鐘が鳴った。地元の浅間神社にお参り。ここでも感謝。そして、菩提寺のお墓に新年のお参り。ここでも感謝。帰って、一寝入り。6時に起きて浮島ヶ原の初日の出と湧水の初飲みに出かけた。そうして帰って、仏壇に純米酒を捧げ、私もまたお屠蘇を口にした。それから三嶋大社へ。これまたおかげ参り。
 3日には、池上七福神巡り。池上本門寺は日蓮宗、我が家と同じ。池上本門寺で招福の白札、魔払いの黒札を求めて帰ってきた。これで、正月の行事は終わり。よきことは、神仏が招くのではなく蘇民将来よろしく己次第。心がけて生きよう。

2022/12/05

Soccer欧州文化と日本

これはスペイン戦の後に書いている。SoccerWorldCup、日本は予選突破。ドイツ、スペインを下してのEグループ1位通過は見事。ふと思い出した。「欧州のSoccerはね、兵士が髑髏を蹴り合ったのが起源。ピッチは戦場です。勝てないですよ。」今から26年ほど前、日韓WorldCup前にヨーロッパへ出張で出かけた時だった。ミュンヘンで私をガイドしてくれたのは、「はな・ベルツへの旅」(講談社)の作者、ミュンヘン在住の眞寿美・シュミット・村木さんだった。村木さんは、ミュンヘンで転がり込んでくる小倉ら日本のSoccer選手の面倒見ていらっしゃった。その彼女が語ったのが、上記の言葉。スポーツGameだった我が国Soccerと欧州のSoccer観の違いを述べたのだった。ピッチが戦場であった兵士のような選手とスポーツ選手では、闘う前に負けている。そう私は理解した。が、今や、Japanに招集された選手の26人中19人が海外でプレイヤーしている。ドイツ戦では、ブンデスリーガでプレーしている日本選手が、同じブンデスリーガーと闘った。同国同士の戦いと報じたドイツ誌もあった。サッカー観はもはや欧州と同じくしている。同じサッカー文化を背負った選手達が戦闘したということだ。それが、ドイツ戦であり、スペイン戦だった。三苫、田中碧は小中を同じくしていたが、育ったのはクラブチーム。恩師はその監督だ。部活ではなかったのである。

2022/11/28

日本敗戦の予感

日本は負けるのではないか、そんな予感がした一昨日から昨日だった。予感がしはじめたのは、連日、マスコミ報道は日独戦一色。もう予選Gを通過したような報道ぶりで、日本中が浮かれ立っていたこと。今やサイバー空間とフィジカル空間が融合した時代。SNS等を介して、国内のかような気分がカタールにいる選手達に伝播しないわけがない。緩みを呼ぶ。実際、ドイツ戦に比し切実感や挑む雰囲気を感じない試合だった。二回目によぎったのは、カタールとの時差が6時間と知ったときだった。午後7時のキックオフ。現地では午後1時。気温は26度から31度だという。コスタリカの平均気温は26度。ぴたりだ。比較的涼しい欧州でプレーする選手が多いJapan11とでは、暑さのリスクが違う。札幌、ミュンヘン、ミルオーキーだ。3回目の予感はJapanの先発メンバーを見たとき。監督は、この戦いに勝負をする前にスペイン戦が過ぎっているのではないかと感じた。コスタリカ戦が予選Gを通過する鍵になる、そうとは思わなかったのだろうか。コスタリカには普通に勝つと思い込んだのではないか。一番苦言を申し上げたいのはマスコミ。視聴率稼ぎに走ったと思う。まるで受験生の点数稼ぎと同じだ。ついつい、私もコスタリカには普通に勝つと洗脳されていた。

2022/10/27

アナウンサー 正しい日本語を

今朝のテレ朝。Goodモーニング。アナウンサーが「挙式をあげました」だって。「式をあげました」だろうに。注意しないと、この種の?が結構ある。かつて、旧中仙道を一日中、山道との賜った有名アナウンサーもいたが。

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