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Taku's World

2019/05/10

気力の低下に愛機の故障

連休明け、どうも体調が思わしくなく、気力も失せ始めていると感じている。ここのところ、朝の散歩にも出ないことが多くなってきている。

風邪を引き咳き込んでいたのが回復。喜んであちこちに出かけてぶり返し。それに抜歯も大きい。だが、それだけではない。

書斎の愛機VPCL22AJのwin10へのアップから変調が顕在化して、結局アウト。それで仕方なくWEBで見つけた安価(そう読み取れた)な業者に依頼。日光まで旅させて入院させた。ところがである。まず、愛機が規格を超えているという理由で5000円+。どのような点検をするかでさらに1万2千円超を+。見積もり依頼したら、10日も遅れて見積もりが届いたが、この時点で20日を超えていた。見れば、HDDがクラッシュとか。それでHDDの部品交換。都合3万8千円ほど。合計すれば5万円を遙に超える額。webではすべて4890円。ウソだろう。さらに、2TBだった愛機のHDDは500Gで帰ってくるとか。しかもデータ回収不能。自分でアプリは再インストールしてくれとのこと。結局、HDDの交換だけの修理。内臓HDDは2TBで7000円から1万円で手に入る。自分で換装すれば、それで終わりだった。アウトの原因がHDDにあると分かれば、その時点で外に出さず、早く仕上がって、元に戻った。法外な金払ってHDDの交換だけ。すっかり打ちのめされた。知識は金。思い知らされましたね。この商法、PCを送ることから始まるが、結局PCを人質にキャンセルできない状態を作るかなり怪しげな商法。
 かつて、SONYのデスクトップ機が変調を来してSONYに修理出したら、メモリーが壊れています。弊社で修理しますかと聞いてきた。自分でしますと言ったら、費用は5000円だった。そして同等品のメモリーを購入して入れ替えて復活。

 今回は全く違った。東京PC。この名前にもまやかされた。「東京」のもつ信用力だ。さて、どうするか。結局、修理キャンセルするとまたキャンセル料。仕方なくHDDを交換し、それはそれで保管して、つまりは保険にして、自分で元の2TBに換装することにした。このHDD代は別にかかるが(SDDへの換装も可能なようでWEB上で紹介されていた。ここまで費用は5万円超。知識不足のために発生した研修代だった。

 この間、落ち込みも激しかった。いつもの仕事ができないことに加えてどのように帰ってくるか心配で。結局、ダウンロードして導入してあったアプリの中にシリアル番号等が不明なものがあり、それは捨てることにもなる。さらにCドライブにあった私の約10年の講演等の音声データ約半分が消滅。殆ど外付けに記録させておいたデータが全てではなくcにもあったということ。トホホでさらに気力を失わせてくれた。

2019/04/30

譲位による令和が始まる

明日5月1日は令和元年5月1日。そう書いて元年が5月1日はやはり変だと感じた。令和元年1月1日。こう書けたらよかったものを。そういえば、新元号の元年に1月1日はないことに気がついた。平成元年は1月8日から。昭和天皇御崩御の昭和64年1月7日の翌日だ。昭和元年は何と12月25日で元年は1週間しかなかったことになる。大正は7月30日。明治は西暦(グレゴリオ暦)1868年10月23日(太陰暦で慶応4年9月8日)からだが、この時は詔書に「改慶應四年爲明治元年」とあったから法的には明治元年1月1日が存在したことになるそうだ(wikipedia)。生前退位とマスコミは報じたが、正確には譲位。世襲を原則とした地位の継承を指すのだそうで、陛下も生前退位なる言葉には衝撃と違和感を覚えられたとか。とまれ、光格天皇( 安永8年11月25日 から文化14年3月22日ー1817年5月7日)以来だから歴史的なことになる。皇室典範は天皇崩御によってのみ皇位継承が行われることを定めていたのを陛下のお言葉を受けて譲位可能に改正された。陛下にとっては、かなり踏み込んだご決断であったことが知れる。もっとも皇室典範原案には譲位制度があったのを高輪会議で伊藤博文が反対して消されていたのが、時代を経た今になって原案に戻したに過ぎないが。長い皇室の歴史では譲位は珍しくはない。御崩御を「穢れ」として忌み嫌ったからとも解説されている。
 それにつけても、譲位ならなぜ1月1日にできなかったのか。恐らく、陛下がお言葉を発しても、それを受け入れるかどうかの議論が長かったためとしか私には映らない。御崩御の月日は特定できないが、譲位ならできたはず。当時の権力者伊藤博文の意向で原案が変わってしまった皇室典範だから、陛下のご意向を大切にすれば、早くに結論は出たはず。そうすれば1月1日が可能であったろうに。何しろ折り込みチラシには令和売り出しがあり福袋まであった。まるで二度目の正月が来たようだ。
 別事だが、田原総一郎は、なぜ女性天皇を認めないかについて、明治天皇は大元帥だった。女性が大元帥になるわけがないから男系と定めた。それを(大元帥になるはずがない)今になっても、なお続けていると断じておられたが、時代の変化は天皇は男系であるべきなのかというメッセージも送っている。実際、推古、皇極、斉明、持統天皇等1770年までに2人の重祚も含めて10代の女性天皇がいらしたのだから。当然と思い込んでいることも元をたぐれば、かなり??があることに気がついた。これも遅かったか。今日で平成が終わるのだから。

2019/04/28

高齢者の免許返上と地方格差

池袋で起きた元高級官僚高齢者の暴走事故が社会問題化している。一つ、加害者を上級国民と呼びなぜ、逮捕されないのかと疑問を投げかける声。二つ、高齢者の免許が返上されないこと。三つ、車の構造、アクセルとブレーキの位置等。私の心にとまった問題は、この三つ。余談もあるが。1は神戸で起きた事故加害者との比較だ。上級国民があるなら下級国民があるので、このような呼称を私は好まない。なぜ逮捕されないのかは、逮捕するにはするだけの要件が必要。彼が東大出の元通産省の高級官僚であり叙勲もいただいている人物であることをクローズアップして事故後を叩いても「次」は生まれない。それに逮捕したからには身柄をつけて検察庁に送って起訴手続きが必要だ。彼は怪我で入院中。身柄拘束して起訴できるかどうかは普通に考えれば分かること。マスコミやネットが悪い。逮捕されなくてもすでに社会的制裁は受けているし、逮捕しなくても起訴はできる。今後のことだが。それより社会的地位が高ければ、それに力む下卑な精神が嫌だね。どうも日本のネット社会にはその傾向がある。私の関心の一番は免許返上についてにある。加害者の落ち度は運転操作より池袋?東京?公共交通機関は充足しているしタクシーだって多い。鄙びたところではない。足が痛ければタクシーを使えばいい。その位の経済的な余裕はあろう。そこに見識の浅さを感じる。昨日、「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」あなたはナゼ秘境駅に来たんですか?で大井川鐵道ひらんだ駅が紹介されていたが、3日間、とうとう乗降客ゼロ。近くに集落はあるのに一人として乗降客がいない。聞けば「車の方が早い」と応える。1日5本。まだこれなら多い方だ。バスだって我が家の前の停留所は1時間に1本。結局列車、バスより車を選ぶ。地方へ行けば行くほどである。免許証を手放したくても手放したら生活できないのである。東京や大阪、名古屋の感覚で、この問題を捉えたら間違う。私は退職と同時に車を処分して我が家は一台所有にしたが、理由は三つ。車の維持費は結構嵩む。経済的理由。二つ、公共交通機関を使うことで歩く機会が増える。健康維持。体力増強。三つ、我が家は最寄り駅まで徒歩7分。結局手放せたのは三つ目があったからである。同じ駅まで30分となったらこうはいかない。高齢化で社会は高齢者の免許返上に動いていくだろう。この問題で都市圏と地方の格差はますます広がる。過疎地の足の確保は地方行政の大きな課題になっていくだろう。財政も許さないだろうから。三つの車の構造の論議では、私の関心は、ブレーキペダルやアクセルペダルの位置ではない。憚れるが、時速150㎞とも100㎞とも言われる高速で激突してプリウスはぐちゃぐちゃになったが、加害老人は怪我で済んでいることだ。プリウス凄い!だ。ボルボは徹底した安全対策車で運転手の身を守る車としてシェアを伸ばした。安全のためにボルボに乗る人が結構多かったが、今や日本車は安全対策で世界の最先端を行っているように見受けられた。プリウス凄い!だ。

 

 

2019/03/16

CMの質

テレビを観ていて気分が悪くなるCMがある。あのパヤだ。なんなんだ?あれ。パチンコも含む賭け事のテレビCMはすべきではないと思う。カジノも同じ。外国資本に血肉を売るようなものだ。パチンコだって半島の資本が支配している。同じパチンコCMでもまだABCには品があって自然に受け入れられる。パヤはチャンネルを変えてしまいくらい気分が悪くなる。テレビCMは一方通行。規制があっていい。CMにだって品格が必要だ。

2019/03/14

fbのダウン

fbがダウンして、今更ながらネット社会の中で生活していることを実感した。ネット上の結構なつながりの中で私どもは生活しているのである。fbやTwitterのダウンは今まで見えていたことや聞こえた世界が突然なくなることを意味している。ここがダウンすることはネットが遮断されるということだけでなく、当然のことながらつながっていた人々との遮断も意味している。生活のみならず精神にも結構な影響を与えるであろう。

2019/03/12

新元号を心配する

元号論議がやっとTVに乗ってきた。ネット上には音なし。決定を静かに待つという姿勢か。まさかと思うが「安倍」元年、なんてならないでしょうね。そこまでは露骨ではなくても、TV報道では「安倍」の「安」の字を頭に入れる案があるとか。安心元年。嘘だろう!「安寧」も画数が多すぎ。それで「安明」とか、「安」の字の元号候補が飛び交っている。南北朝の時代にはそれぞれの元号があった。正当性をそれぞれが主張したためだ。東南海地震が次の元号の時代にやってくるかもしれない。いや必ず来るであろう。それで「天変」元年。それはないな。天はT。大正もTだった。次の天皇陛下は徳仁親王。徳とか仁を使ってほしいが、徳は徳川を連想してだめだね。仁も儒教の色が強すぎる。さて。もう決定済みの元号が金庫に眠っているであろう。「明治」は「おさまるめい」と揶揄されたとものの本にはあった。

2018/12/28

キリスト教と創価学会の葬儀

年末になって、続けて訃報が二つ。その葬儀はキリスト教に創価学会。クリスチャンと知らずに通夜に行って、そのまま御霊前を出しても何事もなかった。着席して祭壇を見たら、そこにはキリスト協会のお花が。顔面がかわっか。何より驚いたのは故人を兄弟と呼び、賛美歌が奏でられることだった。翌日の葬儀も同じ。弔辞ではなく思い出。協会関係者の思い出は原稿なし。賛美歌が歌われるせいかもしれないが、何とく明るい。創価学会員の葬儀には坊さんはいない。学会員が取り仕切る。見えている学会全員が読経するので、会場にはお題目やお経響きわたっている。賛美歌でもお経、お題目でも同じだ。教義よりあの一体感、繋がり意識であり、夢中になれることが、信仰の対象ではないのかと感じた。

2018/12/22

台所リニューアル

昨日からキッチンのリニューアルが始まった。平成4年12月に新築だから実に26年お付き合いした台所だった。新築時だから台所の設計とピタリとはまっている。床下までセットだったが、それはただの物入れで開けたこともなかった。食器洗浄器も同様。今回はカーマの展示処分品を購入。年金夫婦では処分品しか手には入らない。不都合なのは既製品だからピタリとはいかない。壁裏が露出するので、近い色の断熱材で修復。空いたスペースには食器棚をはめ込む。コンロも途中IHにしたのをガスに戻した。電気代を計算しての結論。まあ焼き鳥を好みで焼きたいという思いもあったが。一昨年のバスルームも同じカーマの展示品でリニューアルした。これもバスタブの位置が変わるなど大工事。何と双方とも県外から商品納入。昨日の業者の一人は18時過ぎに愛知一宮まで帰った。二人は沼津に泊まり。採算合うのかと思ったが、処分品を売るのだから、互いにwi wiというところだという。とまれ、平成の時代の台所と一足先にお別れ。今や換気扇などない。フラットな吸煙器がコンロの上に水平に取り付けられている。ここでも時代は変わっていた。

2018/12/07

ノーベル賞にノーヘル症

ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑さんに関するテレ朝のモーニングショーを見ていた家内曰く。「あなたもノーベル賞を受賞して私をストックホルムに連れてってよ」だって。私はすかさず返す。「もう毎年いただいているよ。ノーヘル症」。どっと笑って朝の一幕が終わり。
 ノーベル賞は功労賞か。山中さんはや田中さんは若かったが、殆どは年寄りだ。本庄さんがシーズの話をされていたけれど、研究開発には莫大な費用がいて製薬会社はいわば先行投資をする。家内の姪っ子というか縁続きにサイエンスに論文が載ったこともあるneuroscienceの学者がいる。もともとはブラウン大からコロンビア大の院に進んだ物理学者だったが、それからスタンフォード、UCLAと進み、私どもが訪問したときはUCLAの研究室にいた。その彼女が国と製薬会社から研究所に研究費が出ているという。私はすかさず尋ねた。いくらくらい?6億位かなという。そうか、6億円も補助が出ているんだと言ったら、首を振る。いや$だという。驚きである。当時600億円を越える額が研究所に投資されていたのである。日本は勝てっこないと思ったが、本庄さんの怒りは、このあたりだろう。日本の製薬会社は日本の研究室に投資せず海の向こうに投資しているということだ。日本からはひょっとするともう10年もしたら科学・化学・医学分野ではノーベル賞は出ないかもしれない。世界の大学順位や研究費にそれがよく表れていると思う。現在ノーベル賞を受賞されている人たちの若き頃は入試学力一辺倒ではなかったこともあるね。中国や韓国など科挙の影響を強く残している国からは殆ど創造開発の分野で成果をあげる人たちは育たないだろう。特に韓国はたぶん100年だめだろうね。あの大学入試体制では。創造とは本来自由な精神のもとで顕れるのだから。
まあ長嶋一茂のスウェーデン国旗をTポイントと言ったのにはまいったが。日本もこの程度だな。

2018/12/04

東名あおあり運転事故のとらえ方

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181203-00050045-yom-soci

東名高速道路でのあおり運転事件の公判が始まった。争点は次に集約されよう。

危険運転致死傷罪は運転、走行行為が対象だが、検察側は直前のあおり運転と停車後の事故に明白な因果関係があるとして、適用に踏み切った。冒頭陳述では、事故当時、高速上を計約150台が平均時速70~100キロで走行していたと指摘。被告が萩山さんの車の前で停車したことは「重大な交通の危険を生じさせる速度での運転」に当たると主張した。一方、公判前整理手続きでの同地裁の指摘を踏まえたとみられる予備的訴因の監禁致死傷罪については、被告が謝罪する萩山さんの胸ぐらをつかんで車外に引きずり出そうとし、再発進を困難にさせたなどの行為が監禁に当たるとした。

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-137727/

要するに事実関係とは別に、この行為が法令条文に合致するかどうかである。変だなあと思う。「重大な交通の危険性を生じさせる速度」というと、誰でも猛スピードと連想するようだ。速度とは時速ゼロから際限なくある。そう考えると何も150㎞、200㎞と速い速度ばかりでなく遅い速度も危険極まりない場合がある。高速道路上は通常80㎞以上で信号もなく走っているのだから、そこに50㎞、30㎞、10㎞の車が走っていたら、ブレーキかけたり走路変更したりしなければならず、「危険」なのである。まして停まっていたら、それは障害物であり危険この上ない。停まる=時速ゼロ㎞という理解が弁護士にもコメンテーターにもできないようなのである。

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