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Taku's World

2018/12/07

ノーベル賞にノーヘル症

ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑さんに関するテレ朝のモーニングショーを見ていた家内曰く。「あなたもノーベル賞を受賞して私をストックホルムに連れてってよ」だって。私はすかさず返す。「もう毎年いただいているよ。ノーヘル症」。どっと笑って朝の一幕が終わり。
 ノーベル賞は功労賞か。山中さんはや田中さんは若かったが、殆どは年寄りだ。本庄さんがシーズの話をされていたけれど、研究開発には莫大な費用がいて製薬会社はいわば先行投資をする。家内の姪っ子というか縁続きにサイエンスに論文が載ったこともあるneuroscienceの学者がいる。もともとはブラウン大からコロンビア大の院に進んだ物理学者だったが、それからスタンフォード、UCLAと進み、私どもが訪問したときはUCLAの研究室にいた。その彼女が国と製薬会社から研究所に研究費が出ているという。私はすかさず尋ねた。いくらくらい?6億位かなという。そうか、6億円も補助が出ているんだと言ったら、首を振る。いや$だという。驚きである。当時600億円を越える額が研究所に投資されていたのである。日本は勝てっこないと思ったが、本庄さんの怒りは、このあたりだろう。日本の製薬会社は日本の研究室に投資せず海の向こうに投資しているということだ。日本からはひょっとするともう10年もしたら科学・化学・医学分野ではノーベル賞は出ないかもしれない。世界の大学順位や研究費にそれがよく表れていると思う。現在ノーベル賞を受賞されている人たちの若き頃は入試学力一辺倒ではなかったこともあるね。中国や韓国など科挙の影響を強く残している国からは殆ど創造開発の分野で成果をあげる人たちは育たないだろう。特に韓国はたぶん100年だめだろうね。あの大学入試体制では。創造とは本来自由な精神のもとで顕れるのだから。
まあ長嶋一茂のスウェーデン国旗をTポイントと言ったのにはまいったが。日本もこの程度だな。

2018/12/04

東名あおあり運転事故のとらえ方

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181203-00050045-yom-soci

東名高速道路でのあおり運転事件の公判が始まった。争点は次に集約されよう。

危険運転致死傷罪は運転、走行行為が対象だが、検察側は直前のあおり運転と停車後の事故に明白な因果関係があるとして、適用に踏み切った。冒頭陳述では、事故当時、高速上を計約150台が平均時速70~100キロで走行していたと指摘。被告が萩山さんの車の前で停車したことは「重大な交通の危険を生じさせる速度での運転」に当たると主張した。一方、公判前整理手続きでの同地裁の指摘を踏まえたとみられる予備的訴因の監禁致死傷罪については、被告が謝罪する萩山さんの胸ぐらをつかんで車外に引きずり出そうとし、再発進を困難にさせたなどの行為が監禁に当たるとした。

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-137727/

要するに事実関係とは別に、この行為が法令条文に合致するかどうかである。変だなあと思う。「重大な交通の危険性を生じさせる速度」というと、誰でも猛スピードと連想するようだ。速度とは時速ゼロから際限なくある。そう考えると何も150㎞、200㎞と速い速度ばかりでなく遅い速度も危険極まりない場合がある。高速道路上は通常80㎞以上で信号もなく走っているのだから、そこに50㎞、30㎞、10㎞の車が走っていたら、ブレーキかけたり走路変更したりしなければならず、「危険」なのである。まして停まっていたら、それは障害物であり危険この上ない。停まる=時速ゼロ㎞という理解が弁護士にもコメンテーターにもできないようなのである。

赤木春恵さんが亡くなって 通夜のこと

赤木春恵さんが亡くなって、3日の通夜の様子が放映されていた。祭壇を見て一言。「俺の時はあんなにしなくていいから」。家内も付け加えて「私もあんなにしなくていいから」。二人で「ぷーッ」(苦笑)(* ̄ー ̄*)。「死んだら何も分かんないから」「その辺に転がされていたりして」「それは私の方が心配」。「ずっとほったらかされていたり」夫婦の毒舌は停まらない。そうだよな。通夜も告別式も亡くなった人のためではなく、亡くなった人を囲んだ人たちのためにあるんだよな。それが旅立ちに際する、故人の最後の報恩だろう。合掌。

2018/12/01

定職なし

3月末をもって肩書きを失って本年ラストマンス。何が変わったか。①留意はしていたが、曜日感覚が薄れたこと。②朝の散歩が長くなり帰着が遅くなった。③家計が苦しくなってきている。①は、決まった時間に決まったことをやるようにしているが、外圧がないだけに、余程意志を強く持たないと日課まで崩れていく。②5時半に家を出て帰着は7時から7時15分。出勤時間がないから目当ての時間がない。①と同じようなもの。③これは堪える。年金が主たる収入源になったが、それ自体が減額の一途。時間ができた分、したいことが増える。しかしお金がない。支出構造を変えればいいのに、現職時代と変わらない。そして、④あの時、あのお金で株でも買っておけば、というような後悔が湧いてくる。それでも、先輩の一言が頭をよぎる。退職後の生き方を見ていなさい。どんな仕事をしてきた人かが、よく分かる。その通り。自分が社会にどう関われるか。自分が背中で何を語るか、ということだろう。退職し、臨時雇用になった途端、掌返しもいれば、遊び仲間と群れるのもいる。中には退職してボランティア世界でもヒラメに徹し自己中のままのデタラメ無責任男もいる。肩書きというのは外圧による自己規制。他律をもたらすものだろう。それが取れたのだから自律の世界に生きているということだ。

2018/10/18

企業の詐欺的行為

また、企業のデータ改竄が発覚した。KBYの仕業は犯罪だ。何のための装置かと言えば安全のため。その安全であることを証するデータをごまかしているのだから、地面師と同じだ。それで代金を貰っているのだから、詐欺ではないのか。アメリカならトップの両手に手錠だ。個人なら捕まっても会社なら許されるのか。最近、この手の企業犯罪が多すぎる。今日もジャパネットたかただ。日本はいつからこうなった。日本のトップが、嘘八百に強弁と権力で押し通すのだから下々も同じになる。モリカケも化学調味料を昆布にカツオだしと言うようなもので、ばれれば、使用人が勝手にやったことになる。真っ当ではない。悪党の世界だ。誰だ!こんな国にしたのは?

2018/10/17

老後の1人暮らし

家内の友人が訪ねてきた。静岡県人になった挨拶とか。夫に先立たれて15年。子供たちもそれぞれに独立して、1人になって輝くように生きていた。中国語を学び、中国に渡り、書を始めては全国区だ。その彼女が、都心の一等地にあった自宅とアパートを売却して、伊豆高原の特別有料老人ホームを終の住処にしたのだという。実家はお寺だが、父はお寺は潰れていくと言って、後継を作らなかった。彼女が帰った後、家内と顔を見合わせた。彼女は計り知れない財産を持っているから、それができる。さて、私たちは?今どちらかが旅立ったら、どうするのか。墓は?家は?そも生活はどうするのか。先行きは見えない。本気で終活する歳になったか。暗い展望である。

2018/09/07

分散型小規模発電システムの構築を

北海道の全面停電をみて、改めて思った。大規模発電とその送電システムによるインフラは極めて危険だ。なぜ、分散型の小規模発電の普及に努めないのか。太陽光発電も小規模発電のカテゴリーだ。風力もいいだろう。だが、それが総合的なエネルギーシステムとして体系化されていないのが問題で、結局電力会社に収斂されてしまうのである。我が国は、流れの速い小河川が全国に存在している。そこに水車風の発電装置を置くだけで、送電エリアの狭い電力供給システムが構築できるはずだ。レインボーブリッジが、通過する車による振動で発電して、ライトアップしているではないか。そのイメージだ。病院や交通機関などは、併用を義務化して、電気が止まることを防ぐ。困るのは電力会社。電気が売れなくなるからで、これは彼らはできてもやろうとしなかった。儲からないからだ。政治家も彼らと同じ土俵にいた。巨大な発電所をいかにスモールにするか。分散することで、論外な破壊活動にも被害が減じられ、ビクともしないシステムを構築すべきなのだ。小川がさらさら流れている。それは発電のエネルギーだ。最低限、街灯に電気を供給できるはずだし、エリアの家庭の冷蔵庫くらい賄えるはずなのである。真剣になれるかどうかだ。

2018/06/15

ニュー新橋ビル 買い占め反対

昨日は新橋。いつものごとく散髪にニュー新橋ビル内の、ステーションバーバーを訪れた。東京勤めの頃、昼休みに虎ノ門からさっと新橋駅ガード下のステーションバーバーに出かけ、素早く散髪を済ませて職場に戻って間に合った。そのステーションバーバーは新橋駅の改修で消えて、私も東京勤めが終わって、ご縁のない存在になっていたが、偶然にも当時を知る理髪師Kさんに出会い、ステーションバーバーがニュー新橋ビル2階に移動して営業していることを知った。それ以来、もう4年になるか。東京遊びのついでか、散髪のついでかは分からないが、昔話や世間話をしに、Kさんを指名して時を過ごしてきた。ニュー新橋ビルのエスカレータを上がると正面は居酒屋たしか初藤だったと思う。そこまでは、新橋らしくてよい。そこを左に曲がって一直線。一番奥にこのバーバーはある。だが、たどり着くまでが大変。両脇にマッサージ屋がひしめき、歩けば、片言の日本語や手招きが待っている。それを振り払いバーバーの人となる。Kさん曰く。このニュー新橋ビルはすでに中国人女性に買い占められていると嘆く。戦後の闇市の露天は、新橋商事やテキ屋の関東松田組によって、木造平屋長屋形式の「新生マーケット」が設立されて露天は一箇所に集まった。その後、再開発で現在のビルになって、もう50年近くなる。地下には、かっての露天よろしく一杯屋で夜の賑わいを演じている。お父さんたちの聖地が中国に買い占められているということだ。私有地を認めない国の人が私有地を認めている国の土地や家屋を買い占める。変ですよ。これって、占領ではないか。規制を強めて認めない、それでいこう。二人は合点した。

道徳指導

依頼を受けていた若手研の道徳指導、4校目が終わった。小学校2校に中学校1校。13日水曜日の道徳科授業では、授業の最初にまず指導者が、第8回道徳指導と板書した。うむ、これは立派。4月から始まって、6月半ば。学校の教育課程は窮屈で、学級開きのころは目標や組織作りの時間がない。修学旅行といえば、充てられている時間は本番だけ。連れて行くだけの修学旅行なんて危なくてできない。行事の準備、指導、本番。その本番が終わって帰ってくれば、また、その後始末。ただ連れて行けばいいというものではない。そういう中で、教科学力に直結しない道徳の時間等は、ついつい、その指導時間に充てられる。そうしなければ、放課後は拘束して指導。時間外授業のようなものだ。そんな中、第8回。よくやっている。実施しているだけでも誉めてやれる。加えて、学校全体で共通の授業構成があるのだという。体制作りもできている。若い先生。こんな環境にいることは幸せだ。伸びるに違いない。

2018/05/30

校長職って何?日大事件を重ねて

日大の学長は№3だという。驚いたなあ。小中学校の校長の上は設置者としての首長がいて、首長が主宰する教育委員会があって、事務局のトップが教育長ということになる。だが、そこには一線があって、校長は校務をつかさどり、所属職員を監督するのであるから、一校のトップとして職務権限が法的にも保障されている。どうしてもなじめないのは、日大では学長の上に二人いるということで、それは経営者。それでは、株式会社日本大学ではないか。学校じゃないね。公立学校の校長職にも問題がある。校長職であった人はうじゃうじゃいるけれど、校長職を追い求めた人は希少。学校という小さな世界に鎮座しても、エリアでボス然としても、それはそれはローカルな世界。しかも退職で、そんな地位は消え去っているのに、未だ特別な校長室にいるように振舞っている輩が多いこと多いこと。世界を知らない人は、世界が分からない。世間を知らない人は、世間常識が分からない。退職したら、自分の下には部下はいないと自覚すべきだが、それができない。世間で通用するのは、教育界に身を置いて得た学識や専門性、それに世間に通用する人となり。校長職を追い求めた人は、それを学んでいるから、外の世界で通用する。校長を経験することは権限や権力を使うことを経験することでもあるが(小さな小さなものだが)、校長職とは何かを追い求めてこなかった輩には、その使い方が分からない。社会秩序維持には権力や権限は必要だ。問題はそれをどう使うかだ。大物は少し使うが、小者は振り回す。悪人は、自分のために仲間や一部のために使うが、賢者は、皆のため、人のため、世のために使う。然も公平公正であることに最大限の配慮をする。そんなことは、退職した後のお行儀をみていれば、大物か小物か、本物か偽物かは、すぐ分かると大先輩が教訓してくれた。在職中にトップに立つことの苦しみや懊悩を経験しない輩は、自らを知って蟄居するくらいの覚悟が欲しいが、それで蟄居するような人物は大物ということだ。日大アメフト事件の内田も監督になってはいけなかった小者だったということだ。メンバーを選ぶのに、選ばなかった選手について苦しんだり悩んだりしたことはないだろう。完璧な人なんているはずがないが、開き直って、何を間違えたか、すぐなる世の中を横に歩く自己中は多い。多いし、その取り巻きもこれまた多いということだ。内田のコーチ陣。

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