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Taku's World

2019/06/07

丸山穂高議員の戦争、命。ゲーム脳。

丸山穂高議員の戦争発言報道を見て、とっさに思ったことはゲーム感覚ということだった。リセットできる戦争ゲーム。人の命をやりとりし、その命が消えてくイメージも重みもないらしい。学校教育で体験重視が叫ばれた2000年代の初頭の頃、この人は中学生であったか。私学でひたすら受験勉強に没頭していたであろう。バタフライナイフ、須磨のサカキバラセイト事件、ひょっとすると少年Aと同世代か。黒磯の女性教員殺害事件等々、荒れ狂っていたのは当時の中学生だ。この当時、産経新聞社会部が新潮社から出版した「理工教育を問う」の中には、当時の少年たちの信じられない話が掲載されていた。頁をあけて最初の話がカブトムシが動かなくなったである。カブトムシが動かなくなったではない。死んだのだけれども、子どもはコンビニに電池を買いに行くというのだ。これは母親の投書で実話。平成の一桁の頃、同僚が頭を掻き掻き話されたことも唖然。小学校1年の担任だった彼は面白半分に「海の中ではね、かまぼこは板を上にしてすいすい泳いでいる、ちくわはね、あの穴の中からジェット水流飛ばして猛烈なスピードで泳いでいる」。その昔なら子どもだって大笑いで、先生冗談ばかりでと混ぜっ返したはずだった。彼もまた、そうなると思い笑いながら話した。しかし、後日、保護者から先生いいかげんなこと余り言わないでくださいと抗議を受けたという。本当の話と思い込んだのである。それで子どもは父親にねだった。ねーお父さん、今度の日曜にかまぼこ、ちくわ獲りに海に連れってよー。この頃、日体大の調査で1/3の子どもが人は生き返ると答えたというニュースが流れた。ゲームのキャラクターと一緒でリセットしてまた再生というわけだ。丸山議員の年代を重ねるとこの世代とダブル。戦争はゲームの陣取りゲームでしかない。命を失うキャラクターもリセットで蘇る。戦火に追われ、死んでいく仲間を見ながら命をつないで現在を生きている元島民の戦争観や生命観ではない。そのうえ自分の感覚が正しいと思い込んでいる。左脳のみが肥大化した人?だ。人だとしたら、生物学的に脳に大きな変化が生じているのかも知れない。ゲーム脳?この男、バーチャルと現実との境目が殆どないと私は見た。おっぱいもみたいと言った女性についても、この人にとっては生身で喜怒哀楽があって、むしろ哀しみを湛えた人間という感覚がないのではないか。私の憤りは選挙民にも向く。誰だ選んだのは。選んだ以上、選んだものは責任持てと。国会が懲罰する前に選挙民が辞職勧告するべきだろうに。

2019/04/30

譲位による令和が始まる

明日5月1日は令和元年5月1日。そう書いて元年が5月1日はやはり変だと感じた。令和元年1月1日。こう書けたらよかったものを。そういえば、新元号の元年に1月1日はないことに気がついた。平成元年は1月8日から。昭和天皇御崩御の昭和64年1月7日の翌日だ。昭和元年は何と12月25日で元年は1週間しかなかったことになる。大正は7月30日。明治は西暦(グレゴリオ暦)1868年10月23日(太陰暦で慶応4年9月8日)からだが、この時は詔書に「改慶應四年爲明治元年」とあったから法的には明治元年1月1日が存在したことになるそうだ(wikipedia)。生前退位とマスコミは報じたが、正確には譲位。世襲を原則とした地位の継承を指すのだそうで、陛下も生前退位なる言葉には衝撃と違和感を覚えられたとか。とまれ、光格天皇( 安永8年11月25日 から文化14年3月22日ー1817年5月7日)以来だから歴史的なことになる。皇室典範は天皇崩御によってのみ皇位継承が行われることを定めていたのを陛下のお言葉を受けて譲位可能に改正された。陛下にとっては、かなり踏み込んだご決断であったことが知れる。もっとも皇室典範原案には譲位制度があったのを高輪会議で伊藤博文が反対して消されていたのが、時代を経た今になって原案に戻したに過ぎないが。長い皇室の歴史では譲位は珍しくはない。御崩御を「穢れ」として忌み嫌ったからとも解説されている。
 それにつけても、譲位ならなぜ1月1日にできなかったのか。恐らく、陛下がお言葉を発しても、それを受け入れるかどうかの議論が長かったためとしか私には映らない。御崩御の月日は特定できないが、譲位ならできたはず。当時の権力者伊藤博文の意向で原案が変わってしまった皇室典範だから、陛下のご意向を大切にすれば、早くに結論は出たはず。そうすれば1月1日が可能であったろうに。何しろ折り込みチラシには令和売り出しがあり福袋まであった。まるで二度目の正月が来たようだ。
 別事だが、田原総一郎は、なぜ女性天皇を認めないかについて、明治天皇は大元帥だった。女性が大元帥になるわけがないから男系と定めた。それを(大元帥になるはずがない)今になっても、なお続けていると断じておられたが、時代の変化は天皇は男系であるべきなのかというメッセージも送っている。実際、推古、皇極、斉明、持統天皇等1770年までに2人の重祚も含めて10代の女性天皇がいらしたのだから。当然と思い込んでいることも元をたぐれば、かなり??があることに気がついた。これも遅かったか。今日で平成が終わるのだから。

2019/03/16

CMの質

テレビを観ていて気分が悪くなるCMがある。あのパヤだ。なんなんだ?あれ。パチンコも含む賭け事のテレビCMはすべきではないと思う。カジノも同じ。外国資本に血肉を売るようなものだ。パチンコだって半島の資本が支配している。同じパチンコCMでもまだABCには品があって自然に受け入れられる。パヤはチャンネルを変えてしまいくらい気分が悪くなる。テレビCMは一方通行。規制があっていい。CMにだって品格が必要だ。

2018/12/07

ノーベル賞にノーヘル症

ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑さんに関するテレ朝のモーニングショーを見ていた家内曰く。「あなたもノーベル賞を受賞して私をストックホルムに連れてってよ」だって。私はすかさず返す。「もう毎年いただいているよ。ノーヘル症」。どっと笑って朝の一幕が終わり。
 ノーベル賞は功労賞か。山中さんはや田中さんは若かったが、殆どは年寄りだ。本庄さんがシーズの話をされていたけれど、研究開発には莫大な費用がいて製薬会社はいわば先行投資をする。家内の姪っ子というか縁続きにサイエンスに論文が載ったこともあるneuroscienceの学者がいる。もともとはブラウン大からコロンビア大の院に進んだ物理学者だったが、それからスタンフォード、UCLAと進み、私どもが訪問したときはUCLAの研究室にいた。その彼女が国と製薬会社から研究所に研究費が出ているという。私はすかさず尋ねた。いくらくらい?6億位かなという。そうか、6億円も補助が出ているんだと言ったら、首を振る。いや$だという。驚きである。当時600億円を越える額が研究所に投資されていたのである。日本は勝てっこないと思ったが、本庄さんの怒りは、このあたりだろう。日本の製薬会社は日本の研究室に投資せず海の向こうに投資しているということだ。日本からはひょっとするともう10年もしたら科学・化学・医学分野ではノーベル賞は出ないかもしれない。世界の大学順位や研究費にそれがよく表れていると思う。現在ノーベル賞を受賞されている人たちの若き頃は入試学力一辺倒ではなかったこともあるね。中国や韓国など科挙の影響を強く残している国からは殆ど創造開発の分野で成果をあげる人たちは育たないだろう。特に韓国はたぶん100年だめだろうね。あの大学入試体制では。創造とは本来自由な精神のもとで顕れるのだから。
まあ長嶋一茂のスウェーデン国旗をTポイントと言ったのにはまいったが。日本もこの程度だな。

2018/09/07

分散型小規模発電システムの構築を

北海道の全面停電をみて、改めて思った。大規模発電とその送電システムによるインフラは極めて危険だ。なぜ、分散型の小規模発電の普及に努めないのか。太陽光発電も小規模発電のカテゴリーだ。風力もいいだろう。だが、それが総合的なエネルギーシステムとして体系化されていないのが問題で、結局電力会社に収斂されてしまうのである。我が国は、流れの速い小河川が全国に存在している。そこに水車風の発電装置を置くだけで、送電エリアの狭い電力供給システムが構築できるはずだ。レインボーブリッジが、通過する車による振動で発電して、ライトアップしているではないか。そのイメージだ。病院や交通機関などは、併用を義務化して、電気が止まることを防ぐ。困るのは電力会社。電気が売れなくなるからで、これは彼らはできてもやろうとしなかった。儲からないからだ。政治家も彼らと同じ土俵にいた。巨大な発電所をいかにスモールにするか。分散することで、論外な破壊活動にも被害が減じられ、ビクともしないシステムを構築すべきなのだ。小川がさらさら流れている。それは発電のエネルギーだ。最低限、街灯に電気を供給できるはずだし、エリアの家庭の冷蔵庫くらい賄えるはずなのである。真剣になれるかどうかだ。

2018/06/15

ニュー新橋ビル 買い占め反対

昨日は新橋。いつものごとく散髪にニュー新橋ビル内の、ステーションバーバーを訪れた。東京勤めの頃、昼休みに虎ノ門からさっと新橋駅ガード下のステーションバーバーに出かけ、素早く散髪を済ませて職場に戻って間に合った。そのステーションバーバーは新橋駅の改修で消えて、私も東京勤めが終わって、ご縁のない存在になっていたが、偶然にも当時を知る理髪師Kさんに出会い、ステーションバーバーがニュー新橋ビル2階に移動して営業していることを知った。それ以来、もう4年になるか。東京遊びのついでか、散髪のついでかは分からないが、昔話や世間話をしに、Kさんを指名して時を過ごしてきた。ニュー新橋ビルのエスカレータを上がると正面は居酒屋たしか初藤だったと思う。そこまでは、新橋らしくてよい。そこを左に曲がって一直線。一番奥にこのバーバーはある。だが、たどり着くまでが大変。両脇にマッサージ屋がひしめき、歩けば、片言の日本語や手招きが待っている。それを振り払いバーバーの人となる。Kさん曰く。このニュー新橋ビルはすでに中国人女性に買い占められていると嘆く。戦後の闇市の露天は、新橋商事やテキ屋の関東松田組によって、木造平屋長屋形式の「新生マーケット」が設立されて露天は一箇所に集まった。その後、再開発で現在のビルになって、もう50年近くなる。地下には、かっての露天よろしく一杯屋で夜の賑わいを演じている。お父さんたちの聖地が中国に買い占められているということだ。私有地を認めない国の人が私有地を認めている国の土地や家屋を買い占める。変ですよ。これって、占領ではないか。規制を強めて認めない、それでいこう。二人は合点した。

2018/05/18

中央集権国家の生成過程

中央集権国家は革命的に成立するんではないんだな。じわりじわりと人の心や価値観の中で生成されていく。安倍政権がそれを教えてくれた。行政が政権におもねり、意向を忖度するような体制。人事権があるのだから、自分を捨てる覚悟がなければ、追従せざるを得ない。議員もそうだ。党内は小選挙区制で候補決定権者におもねり、ピラミッドが出来上がる。最悪は情報戦の最先端部隊。どこにいるかって?このネット内。権力批判意見は徹底して批判。マスコミへの偏向報道レッテルに政権ポチ新聞などの外堀的マスコミ。それは地方でも同じで、やがて体制順応基盤や世論を形成する。特徴は、反対、異見を嫌う。人事権の(暗黙の)集中。意のまま人間の登用。背後に見えない暗闇勢力がある。民主主義は異見との切磋琢磨でより良いものを目指す原理であるはず。我意が通らないのが普通であるのに、モリカケ、改竄、情報操作、トップのお気に入りのみに利益が流れる仕組みが察せられるように仕組む。ここが大切。どうすると損するかを見せるのだ。「こんな人達」は許さないと見せつけるのだ。ネット内情報部隊などナチス台頭の過程にそっくりだ。グローバル時代、情報時代は、スピードが重要。トップダウン、反対勢力粛正が速い。だから習近平やプーチン、それにトランプのようなものが出てくる。歴史的には危険水域に入っている。

2018/05/11

日本はどこにある?

日本はどこにある?政権がらみの中央省庁のデタラメぶりに我が国の地盤が崩れ始めたのを感じつつ、思ったことは、このことだ。自らのために矜持も社会正義も投げ出して平気な輩がうじゃうじゃしている世の中はいつ頃から生まれたのか。日本というのは東京ではない。財務は官庁として東京にあるのではない。今、私が生きている、この地が日本であり、県であり、市町であり、この地域だし、財務活動(財務省)も教育(文科省)も仕事(厚労省)も、今生きている、この地、この瞬間にある。そう捉えると、身近にも同じような体質で、親分に忖度して、学ぶべきは怠け方や遊び方だけなのに、要領よく直ぐなる世の中を横に渡り、親分背中に猟官するような輩がうじゃうじゃといるではないか。これは、その親分どもが悪い。柳瀬氏や佐川氏が親分と頼んだのは誰だ、その親分の体質や志のレベルが生んだ問題で、批判を躱せて万歳では、国を私物化しているに等しいのだ。身近なこれらを改革できるか?できないだろう。それが、一連の問題の本質なのだ。主義主張だけのネットを占領する政権ポチは、身近な社会を誰でも明るく生活できる社会にすることに後ろ向きな、似非愛国者なのである。

2018/04/24

水戸黄門、いずれがリアルか

水戸黄門作者は集団だという。番組6時46分に黄門様が現れて悪人を退治するが、いずれがリアリティがあるかといえば、それは悪人の方。現実社会はうじゃうじゃ。黄門様御一行はいないんだな。だから喝采。

2018/04/19

無様な東大卒高級官僚

2005年6月17日私のHPにかような一節をUPしたのを思い出した。福田次官も佐川氏も小中学校時代は恩師から見れば自慢の子どもであったに違いない。だが、年齢を重ね地位も上げて官僚社会での振る舞いを見ると、このエリートたちの教育が何か間違っていたように思えてならない。

…略…中学、高校で子供たちが受けた苦しい訓練と抑圧は、不思議にも大学生になったとたん消え去る。成績評価はてぬるいし、企業は成績にはほとんど無関心だ。大学を卒業し就職すれば、大学で何を学んでいようと関係なく、新入社員研修で一から訓練を受け直さなくてはならない。大学の勉強は将来にほとんど影響しないので、高校を卒業すればあとの4年間は遊んで過ごすだけだ。
…略… 東京大学はまさにエリートの頂点に立つ大学だが、欧米の基準で見れば学問の園どころか学問の墓場である。大学本来の一大目的は学生に社会奉仕精神、一種の倫理観を育てることだが、東大では全く心得ていない。卒業生はまっすぐ政府の省庁に入り、そこで賄賂を受け取り、暴力団に金を貸し、カルテを改竄し、河川や海岸を破壊する計画を立てる。─同僚も教授も、それに対してうんともすんとも言わない。先進国の名だたる学府で、世界にも自国の社会にもこれほど貢献していない大学はまずないだろう。
これは、Yale 大で日本学を専攻し、Oxford大で中国学を修めた後、慶応大に通いながら日本の茅葺き屋根を修復して歩いた「美しき日本の残像」「犬と鬼―知られざる日本の肖像」の著者アレックス・カーの愛する日本に向けた近親憎悪にも似たような日本の教育制度批判だ。「大学で 4年間、つまらない講義を受け、ほとんど勉強しないで無為に過ごすのは、効率優先の国にしては信じられないほどの時間の浪費ではないか。」とすれば答えはただひとつ、日本は本当は大学など必要としていないとしか考えられない。こう言い切るのは、エドウィン・ライシャワー元駐日大使。日本の教育が真にめざしているのは「教育」ではなく「去勢」だ。(元厚生官僚の故・宮本政於氏)…略…

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