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Taku's World

2023/01/06

明日は松の内が明ける 伊勢飾りはどうしよう

本日は1月6日で、明日は7日。松の内が明ける。松の内とは11日から7日まで。で、7日に七草がゆを食す。セリ ナズナ/ゴギョウ ハコベラ/ホトケノザ/スズナ スズシ。この7草を取りそろえるのは難しい。今や7草はセットとして販売されているが、高価。朝、7草がゆを食して、松の飾りを下ろす。関西はじめ西日本では115日まで。なぜ松の内というかというと、松は依代だという。年神様が門松、松飾り、鏡餅を依代にして滞在される。松を飾っている間が松の内。でもな、近年、注連飾りはあっても、門松や松飾りは殆ど見なくなった。3日に池上七福神巡りに出かけたが、池上本門寺周辺で見られたのは、門扉の両脇に松がしつらえられていて、それに輪飾りをつけたものが多かった。両脇に飾るからか、門扉は中央開きが殆ど。我が地方では玉飾りと呼ばれているものが玄関飾り。近年は小振りなものが多くなった。百均で、500円で販売されているのには驚いた。これら依代を飾っておく期間が松の内。
 さて、明日は1月7日。私は悩む。今年の我が家の正月飾りは伊勢内宮辺りで伝統的に飾られた「宇治飾り」で門扉を整え、玄関は伊勢飾りを据えた。伊勢飾りは伊勢地方では1年中飾ってある。蘇民将来子孫家門と書かれた木札が中央にあるものだ。この木札は依代というより護符。これは、前回少し触れたが、牛頭天王即ち素戔嗚尊にかかる伝説に基づいている。
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古事記によると昔、伊勢の地を旅した須佐之男命が、夕暮れに泊まるところがなく困りはてていました。この地には、将来兄弟という二人が住んでおり、弟の大変裕福であった巨旦将来に、宿を頼んだが、これを断られてしまう。その兄である、大変貧しい暮らしをしていた蘇民将来は、この頼みを快く引き受け、貧しいながら、出来る限りで、もてなし一夜を過ごした。須佐之男命は、これを大変喜び、一宿の恩返しとして、茅の輪を与え、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残した。以来、蘇民家は、後の疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。この故事にあやかり、「蘇民将来子孫家門」の護り札をしめ縄に付けて、一年中門口に飾り、無病息災を願う、慣しとして今に受け継がれている。 http://shimenawa.net/
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護符故に年中掲げておくか。そうは言っても我が家は伊勢・志摩ではない。外してどうしようかとこれまた悩む。

2022/05/04

みをつくし料理帖の舞台

 4月に入って高田郁の「みをつくし料理帖」。読み進めていくうちに作家高田郁の舞台設定に舌を巻いた。江戸の区割りを周到に再現している。
舞台の殆どは移転した俎橋付近のつる屋。九段坂に面していて、俎橋は飯田川にかかっていた。俎橋の対岸に創業文久元年の大丸屋米店があるとネット氏は報じている。俎橋向こうには靖国通りが走っているが、江戸期は武家屋敷でそんな通りはない。その先を右折すると神保小路に出る。それが現在の神田神保町さくら通り、すずらん通り。突き当たりが神田小川町の靖国通り。緩いカーブを当時のままに行くと土屋采女屋敷前に到る。現在の東京メトロ小川町駅、淡路駅辺りだ。往時はその隣が松平左衛門屋敷前。そこを北上。すると昌平橋手前で中山道にぶつかる。中山道は日本橋を基点に日本橋宝町、現三越(越後屋)、十軒店、今川橋を経て、この地に到り、上野広小路に進む。神田明神脇を抜けていくような道筋だ。
 昌平橋を渡る。そこは明神下。ご存知野村胡堂の銭形平次が住み、縄張りにしていた地とされているところである。この明神下通りは現在国道452号線、昌平橋通りと呼ばれている。この道の右手、現在の神田明神下交差点から上野方面に旅籠町2丁目、1丁目と続き、その先が金澤町で、その向こうは大岡備後守屋敷。澪や芳、おりょうに伊佐三、口がきけない太一らが住んだ長屋はこの金澤町にあった。金澤町とは前田藩ゆかりの地名である。現在の外神田三丁目の千代田区立外神田住宅(外神田3-5)地辺りで昌平小学校前だ。源斉先生の屋敷は昌平橋に近い旅籠町にあった。金澤町と神田明神下(昌平橋通り)を挟んで御臺所町、同胞町と続く。種市がそばを打っていた「旧つる屋」は御臺所町にあった。澪達の長屋と目と鼻の先である。外神田2丁目、外神田2-5あたりか。現在、近くにうなぎの明神下神田店がある。面白い。澪が手入れし、油揚持参でお参りしていた神弧のある化け物稲荷は古地図にもある。城下町の造りよろしく、明神下を嬬恋坂、鍵の手をさらに北上。武家屋敷にぶつかる。松平伊織屋敷で、そこは湯島天満宮下。その直前、松平采女屋敷と道路を挟んだところが化け物稲荷だった。澪達の長屋からそんなに近くはない。移転する九段坂下のつる屋からは遠くなる。余談ながら、つる屋を卑怯な手でいじめる登龍楼の主人は采女宋馬。この近辺に「采女」屋敷が多い。
 そばの「旧つる屋」は付け火にあって、俎橋、九段坂下に移転した。移転したつる屋まで歩くと30分以上はかかったであろう。通勤が遠くなったのである。
 みをつくして料理帖についてはこちらを。

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