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2019/04/28

全国学力テストはあったのか?

全国学力テストに英語が加わったとマスコミは報じる。??我が国に全国学力テストはあったのか?あれは全国学力・学習状況調査であって、文科省も全国学力テストとは一度も言ってない。学校では学学調査と言っているところだ。マスコミが敢えてテストと言っているところに正体が見える。何しろ限られた紙面を操る新聞社にとって、調査2文字のところを3文字にするのだから、そこに託した意味は大きい。どうしてもテストにしたいのだ。各県別の平均点を出して各県を比較してあそこは高いこちらは低いとやるのだから余り見識がない首長はそれに反応して管下小中学校に当たり散らす。各校は過去問をやらせたり傾向を探ったりして「対策」を施す。それが教育か?慣れてなかったからという教育関係者もいる。慣れてテストで高い点をとれたら教育力があがったのか?この図式、気がつきませんか?入試対策と同じ。傾向と対策という受験雑誌があったが、そのままの図式である。この調査は学習状況と学力をクロスさせて自校の教育の在り方を点検し各校が実態に応じて総合的な教育力を高めるところにある。早寝早起き朝ご飯というキャッチフレーズがあったが、あれはこの学学調査の前身になる教育課程実施状況調査で、基本的生活習慣が高い子どもは学力が高い傾向にあるというところから得たフレーズだった。当然と言えば当然だ。かつての某小学校。宿題もよくやる、学習時間も結構長い。しかしながら二極化傾向が著しく相対的に学力は高くない。なぜだろうと調査を詳細に見てみたら、自尊感情が低いことが判明。さらに家でも学校でも「誉められた」経験が少ないことが分かった。自尊感情が低ければ意欲や関心を阻害する。梶田叡一氏や人権学者、脳科学者等の共通認識だ。このようなことをつまびらかにして指導を改善し教育を向上させていくところに意義があったのである。そもそもが、莫大な予算をかけてこの調査を実施する意義は何か。名前のとおり全国の学習状況や学力を把握するということが第一にあろう。それなら抽出だっていいはずだし、民主党政権の時は抽出だった。だが、この調査のミソは悉皆にある。OECD、PISA調査対策を文科省でやろうといったって不可能。全国の小中学校をその気にさせて、PISA調査に向けて(殆ど気づいていないが)自らを点検してそれを活かした実践をし成果をあげるシステムを創り上げなければ不可である。それは成功したと言っていい。PISA調査における近年のスコアは高いレベルにあるのだから。全国学力調査にはA問題、B問題があるが、これはPISAも同様。とりわけB問題は従来の授業観、学力観の転換に寄与すること大だった。何しろ、学んだことを生活の場で活かせるかどうか、そのリテラシーを調査するのだから、従前の学力観とは全然違う。この調査も個人の属性や学校の基本属性の特徴や学校の財政基盤等も答えることになっているが、このクロッシングが重要で、例えば理科における好き嫌い、男女の違い、無答傾向、解釈する力等、各国の教育・経済やこれからの社会の在り方に示唆に富んだものだからである。その一方で世界で日本はどの位の位置にいるかで一喜一憂しているのも事実である。
さて、マスコミは調査でなくテストにどうしてこだわるのか。その一つは、記者自身の入試学力崇拝があろう。彼ら、それを勝ち上がって今日を築いている。否定すべき装置ではなく否定できない装置なのである。自分の優位性を証する大事な装置なのである。二つは、テストということばのインパクトで、調査よりテストの方がインパクトが有りセンセーショナルでもある。これを使う時点でマスコミは公器としての使命を放棄しているというべきである。三つは、あってほしくないが、予備校、私学、宿などの受験体制の享受者たちの働きかけや圧力またはマスコミ側からの忖度である。
結びに、マスコミが好んで取り上げる平均点は、一人も平均点の子どもはいないのである。一括りにして論じるのはやめよう。子どもはその子なりに伸びる権利はあるし、子どもの健やかな成長を扶けるのが我々社会の人々の使命である。平均点の競争を煽れば学力が向上するというのは幻想である。

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