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Taku's World

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2018年5月

2018/05/30

校長職って何?日大事件を重ねて

日大の学長は№3だという。驚いたなあ。小中学校の校長の上は設置者としての首長がいて、首長が主宰する教育委員会があって、事務局のトップが教育長ということになる。だが、そこには一線があって、校長は校務をつかさどり、所属職員を監督するのであるから、一校のトップとして職務権限が法的にも保障されている。どうしてもなじめないのは、日大では学長の上に二人いるということで、それは経営者。それでは、株式会社日本大学ではないか。学校じゃないね。公立学校の校長職にも問題がある。校長職であった人はうじゃうじゃいるけれど、校長職を追い求めた人は希少。学校という小さな世界に鎮座しても、エリアでボス然としても、それはそれはローカルな世界。しかも退職で、そんな地位は消え去っているのに、未だ特別な校長室にいるように振舞っている輩が多いこと多いこと。世界を知らない人は、世界が分からない。世間を知らない人は、世間常識が分からない。退職したら、自分の下には部下はいないと自覚すべきだが、それができない。世間で通用するのは、教育界に身を置いて得た学識や専門性、それに世間に通用する人となり。校長職を追い求めた人は、それを学んでいるから、外の世界で通用する。校長を経験することは権限や権力を使うことを経験することでもあるが(小さな小さなものだが)、校長職とは何かを追い求めてこなかった輩には、その使い方が分からない。社会秩序維持には権力や権限は必要だ。問題はそれをどう使うかだ。大物は少し使うが、小者は振り回す。悪人は、自分のために仲間や一部のために使うが、賢者は、皆のため、人のため、世のために使う。然も公平公正であることに最大限の配慮をする。そんなことは、退職した後のお行儀をみていれば、大物か小物か、本物か偽物かは、すぐ分かると大先輩が教訓してくれた。在職中にトップに立つことの苦しみや懊悩を経験しない輩は、自らを知って蟄居するくらいの覚悟が欲しいが、それで蟄居するような人物は大物ということだ。日大アメフト事件の内田も監督になってはいけなかった小者だったということだ。メンバーを選ぶのに、選ばなかった選手について苦しんだり悩んだりしたことはないだろう。完璧な人なんているはずがないが、開き直って、何を間違えたか、すぐなる世の中を横に歩く自己中は多い。多いし、その取り巻きもこれまた多いということだ。内田のコーチ陣。

2018/05/18

中央集権国家の生成過程

中央集権国家は革命的に成立するんではないんだな。じわりじわりと人の心や価値観の中で生成されていく。安倍政権がそれを教えてくれた。行政が政権におもねり、意向を忖度するような体制。人事権があるのだから、自分を捨てる覚悟がなければ、追従せざるを得ない。議員もそうだ。党内は小選挙区制で候補決定権者におもねり、ピラミッドが出来上がる。最悪は情報戦の最先端部隊。どこにいるかって?このネット内。権力批判意見は徹底して批判。マスコミへの偏向報道レッテルに政権ポチ新聞などの外堀的マスコミ。それは地方でも同じで、やがて体制順応基盤や世論を形成する。特徴は、反対、異見を嫌う。人事権の(暗黙の)集中。意のまま人間の登用。背後に見えない暗闇勢力がある。民主主義は異見との切磋琢磨でより良いものを目指す原理であるはず。我意が通らないのが普通であるのに、モリカケ、改竄、情報操作、トップのお気に入りのみに利益が流れる仕組みが察せられるように仕組む。ここが大切。どうすると損するかを見せるのだ。「こんな人達」は許さないと見せつけるのだ。ネット内情報部隊などナチス台頭の過程にそっくりだ。グローバル時代、情報時代は、スピードが重要。トップダウン、反対勢力粛正が速い。だから習近平やプーチン、それにトランプのようなものが出てくる。歴史的には危険水域に入っている。

2018/05/11

日本はどこにある?

日本はどこにある?政権がらみの中央省庁のデタラメぶりに我が国の地盤が崩れ始めたのを感じつつ、思ったことは、このことだ。自らのために矜持も社会正義も投げ出して平気な輩がうじゃうじゃしている世の中はいつ頃から生まれたのか。日本というのは東京ではない。財務は官庁として東京にあるのではない。今、私が生きている、この地が日本であり、県であり、市町であり、この地域だし、財務活動(財務省)も教育(文科省)も仕事(厚労省)も、今生きている、この地、この瞬間にある。そう捉えると、身近にも同じような体質で、親分に忖度して、学ぶべきは怠け方や遊び方だけなのに、要領よく直ぐなる世の中を横に渡り、親分背中に猟官するような輩がうじゃうじゃといるではないか。これは、その親分どもが悪い。柳瀬氏や佐川氏が親分と頼んだのは誰だ、その親分の体質や志のレベルが生んだ問題で、批判を躱せて万歳では、国を私物化しているに等しいのだ。身近なこれらを改革できるか?できないだろう。それが、一連の問題の本質なのだ。主義主張だけのネットを占領する政権ポチは、身近な社会を誰でも明るく生活できる社会にすることに後ろ向きな、似非愛国者なのである。

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