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2011/12/03

何事も地図が必要ですよ

 旧東海道往復踏破が終わって、旧中山道を草津より日本橋方面に向かって歩き始めて、現在は、司馬遼太郎書き下ろし作品、「無名の人」所郁太郎の生地、美濃赤坂に至っています。
 ところが、です。すでに旧東海道を往復していますので、中山道と東海道とが合流する(西から向かうと分岐する)草津以西は略して歩き始めたのですが、何となく気が収まりません。何か決まらないのですね。旅はやはり、出立と終着があってこそです。旧東海道、旧中山道ともに京三条大橋から江戸日本橋までですが、江戸期の実際は、江戸・大坂間、東海道57次でした。大坂城落城後、徳川家康は、伏見、淀、枚方、守口の4宿を整備。京を迂回するようにして、西方からはこの4宿を抜けて髭茶屋追分、大津のルートを確立したのでした。それで今回は上方の起点、大坂高麗橋から草津まで歩いて、中山道の歩き旅につなごうとしたのでした。
 9月30日は勤務切り日で休み。前日の21時45分、沼津駅北口発の夜行バスに乗って大阪駅桜橋口へ。着いたの翌午前6時少し前。鉄路が好きな私は、ムーンライトながらに乗りたかったのですが、今やこれは季節列車になっていて、この時期は運行なし。それで、ウィラーバスを利用。初乗車でした。驚きました。何しろ大阪までシルバー割引で3100円。(なんていたってシルバーですよ。東京向島百合園でシルバーは無料の恩恵?を受けた時はショックでしたけれど、もう麻痺ですね。)体を精一杯伸ばせるリクライニングにフード付き。まるでAIRのビジネスです。これではJRが寝台など夜行列車から撤退していくはずです。目の当たりにした社会の変化でした。
 JR大阪駅からは地下鉄を乗り継いで高麗橋へ。里程元標跡を出発し土佐堀通り、淀屋橋を渡り、大坂城を右手に見て、京橋口、京橋商店街のアーケードを抜けて守口へ。守口から文禄堤、八雲へ。このあたりまでは順調?でもなかったが、そぼ降る雨も気にならず、さて…よせばよかったのに。鵜飼大橋を渡り、鵜飼和道へ。何と摂津方面に来てしまったのでした。街道が見つからず大迷走。京街道(大坂では東海道とは言わない。京街道です。意地ですね)は淀川堤上にあって、そのまま進むのが正解。右往左往して2時間。大阪モノレール南摂津駅で駅員さんに道を尋ね、八雲の淀川縁に戻って、また道を聞き、ようやくにして堤上の街道に戻っても、またもや、淀川堤を外れて、国道1号へ、それも不安で170号線。結局諦めて京阪本線香里園駅へ。目標の枚方へは及ばずの旅でした。
 雨中6万歩。歩きに歩いた末の迷走劇。そもそも無謀だったのは確かな地図を持たなかったこと。年をとると妙な自信と意地が生じて、かような失敗をしがち。何事にも周到な準備は肝要。退職後、自分を俯瞰する地図はやはり大切でした。

 香里園駅からどうしたかって?京阪本線で三条まで行き、三条大橋を渡って、東海道を歩ききったとき祝杯をあげた「がんこ」のカウンターへ。しばしくつろぎ、バスとセットのホテルモントレ京都の13階の天然温泉スパへ。ぎりぎりまで休んで、八条口へ。八条口24時45分のウィラーで沼津駅北口へ。翌8時でした。これは遅くてきつかった。でも熟睡でした。

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コメント

おお!デザインが変わったのですね。文章が栄えますね。
そうですねえ、地図がないと先生がどれくらい歩いたのかイメージがわきません。
そうそう、中学のときの社会の地図帳を今も使ってます。

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