新紙幣が発行された。が、8月時点で私はまだ渋沢栄一も津田梅子も見ていない。それは当然で、もう何年も前から支払いはスマホ内のアプリ・カード類で電子決済。現金で支払うのは開業医くらいか。こちらは、まだ電子決済に未対応だからだ。カードは今年2回再発行した。その都度、全ての登録先カード情報を変更し直したが、面倒だった。が、巧妙なフィッシング詐欺の被害に遭う寸前、カード停止・再発行で難を免れた。危ない、危ない。
新紙幣が発行された。が、8月時点で私はまだ渋沢栄一も津田梅子も見ていない。それは当然で、もう何年も前から支払いはスマホ内のアプリ・カード類で電子決済。現金で支払うのは開業医くらいか。こちらは、まだ電子決済に未対応だからだ。カードは今年2回再発行した。その都度、全ての登録先カード情報を変更し直したが、面倒だった。が、巧妙なフィッシング詐欺の被害に遭う寸前、カード停止・再発行で難を免れた。危ない、危ない。
この暑さの中、日中出歩いて熱中症にかかって、倒れて肩を骨折。そんな事故もあってか、家籠もりの生活が続いてTVを視聴する機会が増えた。1昨年の退職〇〇会で「認知症」について触れた。厄介なのは「前頭側頭型」認知症で、それは知性・理性をつかさどる前頭葉が萎縮して、「脳辺緑系」を抑えきれず、感情爆発を起こすというもの。交通事犯を繰り返す、勝手気儘になって、テキトウな振る舞いが多くなった。うーむ。前頭側頭型認知症かもしれない。65歳以上では5人に1人が認知症を発症するとか。数えた。1、2、3、4、5人。この中にいる(笑い)。TVに向かってぶつぶつ言い始めたら黄信号で、気がつけば私も昨今、TVに向かって怒っている。来たか。危ない、危ない。
全ての葬儀プランが5万円引き、小さなお葬式♪ドラム叩いて笑顔を浮かべて死亡保険♪俺っちの終末はビジネスチャンスか。BSは朝から終日通販CM。社長、もっと安く~なんて甘ったるい声に、ちょっと待った今から30分以内…、もう聞き飽きた。地上波だって、ここで「お知らせ」は5分以上続いて番組は中断。で、Ch変えて戻しても、なおCMは続く。CMを商うのは巨大企業電○等。CM時間拡大でウハウハだ。電波行政は企業支援かと73歳は怒り心頭。視聴者は通販のサプリに育毛剤。今更、活力に黒髪でもあるまいに。喝!だ。TVは今やCM受信機。かくしてTVはチューナーレス時代に突入。
今年、沼津市は市制百周年。新卒で金〇中に着任して50年。半世紀が経った。私が中学二年の時に東京五輪で新幹線が開通。この年の高校進学率は約68%で1/3は中卒。我が家も極貧で高校進学がやっとだった。大学へ進まなければ教員にはなれない。不思議にも、高校の先生方や沼津市のおかげで大学進学できて教員になれたが、職員室の先生方は全員が大卒、自分もその一人と気づいて驚いた(笑)。あれから五十年。社会は激変。今年、自治会役員に就いたが、正副会長は昭和の申し子。上り坂を皆で上った時代を謳歌し、1970年からの失われた三十年も演じた。上が下をグリップし、異論や異議は認めず、忖度させて全員一致。が、今や真逆。統一・均質ではなく独創や創造性を重視。皆違っていい、だ。財界幹部は嘆く。日本人には分からないことはやらない文化があると。確かに。変化は受け入れず、分からないデジタル等は忌避して不易流行と宣う。60歳で皆一斉に退職。平等に辞めるから不平なし。これがidiot。中韓は我が国の優秀な退職者を高額で雇用して自国に活かしてきた。結果は知るべし。多くの組織で中間組織が綻びかけている。リアリティは末端にある。昭和手法のままに末端から離れた中間組織が、上から協力要請しても、末端はうるせーなあだ。自治会も違わず。回覧板は昭和15年、内務省発のもの。それが今なお続く。悠久不変だ
今年、沼津市は市制百周年。退職して12年経った。現職と併せれば50年。何と教育界に身を置き半世紀経ったのだった。大学の卒業記念で後輩から贈られたのは鉄筆セット。今や、それ何?だ。PCで原稿を作成、印刷はリソグラフ。B版はA版になって、今や非紙媒体へ。電話はスマホやメールに。本市50年、丸井も西武もニチイも消えてヨーカードも去った。閑散駅前通りに仲見世通り。教育界では、本県の採用倍率は10数倍から3倍以下に。学校の小規模校化に教員不足が深刻。教職課程を開講できない大学もあると聞く。教員のなり手がいない。超のつく時間外勤務は50年前にもあった。何が違うか。私のような未熟な教員でも保護者達は味方で応援団だった。が、今やクレームに備えてピリピリだ。教員の、いや学校教育の社会的地位は低下。教員への敬いなどは鉄筆の今昔のごとし。学校教育は、20年後・30年後の社会作りで、その担い手を育むのが使命。だから、教育の軽視や教育力の低下は社会衰退への道だ。現職教員に難しい時代になった。正解探しの授業、教える、伝える技術や統率力より、ともに学びあう授業づくりが希求される。が、それが難しい。慶応高校の監督のような選手とのよき距離感覚を纏うには、相当な研鑽が必要。子供自らが学ぶ「学び」へ誘い、伴走者として支援するのも簡単ではない。自身がよき学び手でなければ途方にくれるだけだ。10年後、危ないな、この国。
4月半ばから5月半ばまで読み耽った。ざっと26冊。私の厨房生活から、髙田郁の「みをつくして料理帖」に話題が転じたのがきっかけだった。薄縹色(うすはなだいろ)に鴇色(ときいろ)等大和色が頻出。鳥の鳴き声で状況を暗転。昂じた私は、同著の舞台を訪ね回わった。付け火に遭う前のつる屋は、明神下御台所町現神田川本店の辺り。澪がよしと暮らした長屋は千代田区立昌平小前。その先は武家屋敷で、化物稲荷は現存と聞いて探したが不明。引っ越したつる屋は九段下、俎橋脇の現スタバ地で、その裏手、中坂に口の悪い戯作者の住居があった。何とそこは滝沢馬琴邸跡。俎橋のつる屋と明神下の長屋の間を澪やよしは通った。神保町さくら通り、すずらん通り、靖国通りを経て淡路町交差点を北上。旧中仙道、昌平橋を渡って神田明神下に至る。長い。それにつけても彼女の時代考証は緻密。女性の視点もいい。江戸・上方の食文化は違う。大工が多い江戸は濃い口。商習慣、気質も違う。が、食は人の天なり。その通り。麻疹、コレラ等疫病に苦しみ、神仏にすがった江戸人。縁起は生活の柱。「あきない世傳金と銀」には、商哲学「三方よし」が、幸の生き方・信念で具現化され、「あい」では女性の目で関寛斎を描く。司馬は歴史を俯瞰し、池波は平地に立って、人物やその営みを描いた。この人の目線は池波に近く、市井に生きる女性にロマンを託すが、それは小説で虚構。叶わぬ夢だ。
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