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Taku's World

元年元旦はない。例外明治そして首都東京

 令和2年、あちこちの会合で挨拶で触れるのは、元年元旦はない。故に2年が実質新元号の最初の年であるということ。令和も同じで平成31年元旦はあっても、令和元年元旦はなかった。それは平成も昭和も大正も同じだった。平成は昭和天皇が17日に崩御され(実際は1224日に亡くなられていたという説もある)、元号法によって18日が、平成がたった日になる。わずか1週間。元旦はなかった。
 例外があった。明治である。改元の日は慶応498日。これは旧暦で西洋暦では18681023日。だが、明治には元旦があった。慶応411日に遡って明治にしてしまったのである。それほど新体制に早く変えたかったのだろう。それ故に併用して慶応497日までを明治とも称したのである。井沢元彦流に表現すれば慶応4年元旦から97日は消されてしまったということになる。
 この間の解説は手短ながら井沢元彦の「逆説の日本史22」の冒頭が面白い。
 明治はいくつかあった候補から明治天皇がくじで決めた。明治とは易経「聖人南面而聴天下嚮明而治」からとったもの。明治は易経、令和では原典万葉集と強調したのも出典を日本古典にこだわったからであろう。民衆は面白い。司馬遼太郎だったか井沢だったか、明治を「おさまるめい」と読んだそうである。この時、一世一元も決められた。
 井沢の同書は首都東京にも言い及んでいる。
 大久保利通は新都は大坂と強く考えていたらしい。京都は四方に山に囲まれた盆地だが、大坂は海に開いている。江戸は京都から見たら東の京。だが、これには中国に東京があった。長安から見た東の都すなわち洛陽の異名である。もっとも、江戸を東京と改称することは早くから決めていたらしい。江戸イメージを払拭できるからである。都はどこにすべきか。井沢は大久保への投書で決まったと紹介している。その投書の趣旨は①大坂は経済の中心、東京は政治都市。ここを首都にしなければ滅ぶ。よく分かる。②日本列島の中での位置。ど真ん中でバランスがいい。蝦夷地や新政府に抵抗していた奥州列藩にも近いことがあったろう。③首都として整備する財源の問題。幕府が使っていたものを再生すればいいのである。大久保が大坂から東京に傾いた主因は③だろうと井沢は推察しているが、そうであろう。幕府が滅んであちこちの藩邸跡や旗本宅など空き家になった。その空き家に薩長の新政府軍が勝手に住みついた。新政府軍ならまだいい。得体の知れない輩も勝手に住みついたのもあったのである。言い方を変えるなら新たに建設する用は省ける環境があったと言えよう。金のなかった新政府が東京を首都にした事情がよくわかる。
 面白いのはこの投書の主は「前島密」であったこと。前島は今こそ郵便制度の父と呼ばれ、POSTを郵便としたり、切手、はがきという名称も創ったりした郵便の父として著名だが、幕臣であった。幕臣がゆえに大久保との面識があろうはずがなく、投書という手だてしか持ち合わせていなかった。
 余程優秀な人であったろう。
 もとは現在の上越市あたりの豪農の子であったが、父を亡くし母方の叔父の藩医に養われ、江戸で医学を修め蘭学と英語を学んだ。航海術も学び、薩摩藩の洋学校の蘭学講師にもなっている。そして明治。明治2年に明治政府の招聘で民部省・大蔵省に出仕し、翌3年には太政官に郵便制度を建議し渡英もし、今日の郵便制度の形を創ったのである。投書に見るような状況を俯瞰する思考、新しい時代を嗅ぎ何をなすべきかを感じ取り実行に移す行動力。明治にはこうした偉人がきら星のごとく現れた。

2020/03/25

起きるぞ感染爆発

起きるぞ爆発感染。3月2日からの休校要請はそれ自体より、それは強い警告メッセージになって、国民に危機感をもたらせ自粛モードをもたらせた。そうであるのに解除。緩んだ。上野公園で例年通りの桜宴会に興じるお馬鹿、原宿では人混みに繰り出す無神経。ライブハウスで踊り狂うアホ、BBQ禁止の立て札無視で子どもを連れて無法BBQを楽しむ大馬鹿、海外の感染地域を旅して返るノータリン。要請無視で決行して感染者を射したK-1の無責任主催者、怒り心頭で言を待たない。一方、満員電車で通勤する人々の哀しみと哀れさ。これを何とかできるのは公権力を発揮できる信頼のある政権しかない。あーあ。世も末。

2020/02/21

VPCL22AJ復活その後

もはや存在しないSONY製VAIOのデスクトップ。10年前の愛機を換装させて復活させたいきさつは書いた。あれ以来快調そのもの。購入時に設定されていた様々な機能がwin10Proで動いている。しかもSSDだから速い。起ち上がりなど、MobileのLET'SNoteRZ4が故障したのではないかと思うほど遅く感じる。HDDの時はRZ4が速く感じたのだが。10年使用すればもうお蔵行きが普通。自分に重ねてみる。あと1年で古稀。そのご老体が成人式を迎えているような変わり様だ。私の体の一部を取り替えたら、こうなるといいのだが。

2020/01/20

PC復活劇 win7からwin10へ。

 昨年3月頃から私のPCが変になり始めた。ちなみに私のPCは平成22年8月に購入したSONY製のVAIO、VPCL22AJ。23インチの一体型Desktop機でオーナーズメイド。23インチディスプレイ。2TBのHDDにメモリーは8GB。これは許容の最大値。ドライブはBD。これにチューナーがついて地上デジタル、BSを視聴できる代物だった。だが、購入した平成22年と言えば2010年。昨年は2019年だから10年使用したことになる。その前は同じSONYのVGC-RA50だった。そちらにも故障があった。メーカーに修理見積もりを出したらメモリーが壊れているとのこと。診断料5,000円かかったが、修理するか自分でメモリーを交換するかと聞いてきたので、返却してもらい、自分でメモリーを入れ替えて使っていた。RA50も7年ほど使ったが、VPCL22AJは10年。寿命が長かった。だが、起きたトラブルがHDDの故障とは気がつかなかった。はじめはHPビルダーで異常が現れた。フォルダーを介してファイルを読めなくなったのである。ビルダーのトラブルかとビルダーを代えたがダメだった。その内にますますおかしくなってリカバリーをかけてバックアップソフトで復元してみたが症状は変わらず。もう一度リカバリーと試みたら今度は完全にアウト。それで業者に修理依頼。これが失敗のもと。5万円近い修理費を支払い、返却されたのは2TBではなく500Gのwin10。修理に出した2TBのHDDは返してもらえなかった。返すのは有償だという。私のHDDであるはずなのにである。壊れていてもデータは引き出せる。そのまま返却してもらえば自分でできた。返ってきたPCはもはや購入時のものではない。付属のアプリ類もなければ、キーボードから本体操作ができるボタンも効かない。購入時ソフトは完全に消えた。データはバックアップとって出したので何とか復元できたが、修理品の2TBHDDを返さない業者は何事か!である。まるで盗人のようだった。
 このPCを購入時に戻すにはどうしたらよいか。どうせならと500GのHDDに換えて500GのSSDを装着して、リカバリーDVDを入れてリカバリーを試みたら2枚目でアウト。次にwin7を購入してOSを先にインストール。そうして再びリカバリーDVDを動かしたらやはり同じ。諦めて10ヶ月。ネット上で誰かがHDDが2TBなら2TBでなければリカバリーは無理と言っていたのを思い出して、Western DigitalのBlue2TBを購入して、同じことを試みたが、これも2枚目でアウト。メッセージをよく見たら305。メディアに傷があるとの表示。要するにリカバリーDVDの2枚目を壊してしまっていたのである。これが原因かとダメ元でリカバリーメディアを購入。VPCL22AJの裏蓋をガチンと壊れそうな音をさせて外して3.5インチのアダプターにSSDをセットして再び蓋を閉めて、WIN7をPC購入時のプロダクトキーでインストール。次に購入したリカバリーDVDを動かしたら、2枚目も通過するではないか。3枚目も通過。4枚目で何回か再起動があってVPCL22AJはSSDに換装されて購入時の状態に戻った。万歳である。
 それを、今度はwin10にアップ。おそるおそるGigaPocket DijitalをクリックしたらTV画面が現れた。動いたのである。この機能はWin7でのみだったはず。しばらく放置している間に、win10に対応するようバージョンアップされていたのである。さらに内蔵していた500GのHDDを外付けにして、おまかせ引っ越しPRO2で10ヶ月間使っていたアプリや設定、データを引っ越し。こうしてwin7マシンをwin10にしてTV視聴もできるマシンに換えたのである。もちろんwin10で使えなくなったアプリもいくつか。VAIOcareのように再設定が必要なアプリもあったが、Gigapocketが動き、VAIO特有の設定も復活。万々歳である。VAIOならではの困ったことがあった。Chromeとgmailである。Chromeはダウンロードできてもインストールができない。何度やっても同じ。ネットサポートを見たらVAIOはオフライン(スタンドアロン)ならインストールできるそうで、それをやったらChromeも設定完了。
 いやあ速い。SSDに換装したらこれ程速いとは。それに静か。ちなみに換装したSSDはCrucial-mx500。2.5inch。3.5インチアダプターはorico。地上デジタルもBSも視聴に録画もOKなので、7月の東京オリンピックでは活躍しそうだ。

2019/12/04

大嘗宮を見て

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もう二度とない。今生の見納めと、平日、込み合う小田急、千代田線と乗り継いで皇居へ。セキュリティチェックを受けて坂下門から宮内庁前、乾通を進み、案内に従って西詰橋を渡ったら???である。そこは江戸城本丸跡だった。明暦の大火の後、天守閣を再建しようと前田藩が築いた天守台をいただき、松の廊下跡もある。江戸幕府の心臓部だった場所である。ここは、東御苑、二の丸庭園から梅見坂や汐見坂を上がっていけば誰でも行ける場所で、私も数回訪れたことがあった。ここに!である。大嘗宮は、平安京遷都がなされて以来、朝堂院(内裏の正庁)の前庭に造営されて、大嘗祭自体が中断される時代があったものの、おおよそ大極殿の前庭に造営されるのが常だった。明治になって初めて現皇居内の吹上御所に造営されたが、それは明治の新政と無縁ではあるまい。大正、昭和天皇の時は京都御所内旧仙洞御所前庭。平成天皇は皇居内東御苑。そして今回同じ東御苑内。この場所への造営は初めてではなかったが、実際目の前にしてみると歴史を感じてならない。国破れて山河あり。城春にして…である。徳川幕府が権勢を誇った場所で、天皇代替わりの儀式である大嘗祭が行われている。徳川家の末裔の中には公団に生活している方もいると聞くし、かつての私の部下にも紀州徳川家の末裔がいた。もちろん大名生活をしているわけではない。風貌は家康に似ていたが生活は庶民だった。
 令和の大嘗宮は清水建設が9億円で工事を落札したという。秋篠宮殿下の御発言もあった。24億円の費用がかかったといわれるが、9億円を除いた15億円はどうしたのだろうと思った。今までは大嘗祭催行後は大嘗宮は破却、奉焼されてきたが、今回の資材は再利用されるという。陛下らしい。
 厳重なチャックを受けて皇居内に伺ったが無料。祝賀パレードに使用したセンチュリーのオープンカーも見られるというが見当たらない。案内所で聞いたら、四谷の赤坂迎賓館だという。初めて迎賓館内に。ここの管轄も宮内庁かと思ったら、こちらは内閣府。入館料1500円とあった。内閣府になるとどうもお金が付きまとう。桜を見る会の新宿御苑は無料だったと思うが。前庭のみは300円。長蛇の列でセキュリティチェックも空港内の保安検査と同じ機材が導入されている。リュックに背負っていた三脚は預かり処分。もち込めないという。くだんのセンチュリーはガラスケースに納められていた。菊の御紋章はついておらず、皇1なるナンバーは品川ナンバーに変わっていた。この車は内閣府の管理下になったという。
 見たかった高御座は東京では12月22~25日に2020年1月2~19日に国立博物館で無料で見られるらしい(京都では20年3月1~22日 )

 

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